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政治と環境問題

環境問題はかなりヤバイ。
砂漠化と耕地面積の激減、森林消滅は相当ひどい。
温暖化ばかり騒がれるが、温暖化しなくともまずい。

5年後、10年後を考えれば、産業構造を変えるなり、相当な取り組みをしておく必要がある。


が、これが政治の争点になることはない。
年金問題や経済問題を考える上でも、5年10年先には社会が激変するはずである。
少子高齢化はもっと先の話。
石油がピークになって原油価格が高騰することは当然。
しかし、それも気にしていない。
これは不思議である。
なぜだろう?

いや、明らかにおかしい。
見えている問題を無視している。
どうにかなる、と考えているのだろうか?

政治とかマスコミとか、爺さん連中が好きなようにやっている業界だから、
結局、自分たちの死んだ後の話で、興味ないのだろう。
想像力の欠けた奴らである。
少なくとも子どもがあれば多少は違うだろうが、
安倍晋三もそうである。
アホみたいにはしゃいで、何のために政治家になったのか?
家族に縁の薄い、いや情のうすい小泉純一郎もそうだ。

人の痛みを我が痛みとするような人間でなければならない。
少しだけ先の未来の子どもはどうなる?
心が痛まないのか?
虚栄と自己顕示の汚らしい上昇志向だけが政治家の要件となった現在、
「どうにかなる」ということは先ず、絶対に無い。
by lebendig | 2007-02-26 08:55

さばさば

最近は我ながらさばさばしたもんである。
哲学なんかやっている人って、なんかこじれておかしくなった人が多いのですが、
自分ながら、さばさばしている。
何回も言っているうちに、本当に哲学への過度の期待が無くなったのかもしれない。

そうなると、自分のこてこてぶりも振り返ることが出来てくる。
なんだかんだ言って、結局なんか変なことを哲学に期待していた日々。
今は出来ることと出来ないこと、やるべき事と断念すべき事、少し見えるような気がします。

はかなく、ふっと世を去る我々は、そのはかない瞬間を慈しみあいながら生きるべきでしょう。
傷のなめあいとか、小市民的幸せ発見人生ではなくて、ね。
by lebendig | 2007-02-12 19:19

死の新しい可能性

あの世がない限り、死は終わりを意味する。
おそらく無いだろうから、終わりである。

我々の意識というのは、実際に感覚したり行動したりした数秒後に成立する。
だから、よっぽどの偶然で死の瞬間まで意識があって、がくっといっても、
死の数秒前に意識は途絶してしまうのである。
だから、我々はひっくり返っても死を経験することは出来ない。

おそらく、プチッと突然終わるのだろう。
テレビを見ていて停電になったときのように。
最近停電なんて無いですが。

だから、死は生きているときの自分にとってだけ存在する。

死は、如何に死を死ぬか、という人間の意識にとってのみ存在する。

その死を如何に意味あるものとして死ぬか。
そして如何に意味ある生を生きるか。
動物的な生の幸せを最近の人間は意味ある生だと考えている。
だが、ほんとうだろうか。
動物は我も彼もなくただひたすらに生きているだけで、生を味わったりしない。

やはり人間は人間として生きるしかない。
動物的な生は倒錯である。
では人間的に、最高に人間的に生きるというのはどういうことか。
人間的に最高に意味ある価値とは何だろうか。

猿にもいろいろあって、高度な猿は他の猿の行動や反応を想定したりできるらしい。
そして他の猿をだましたり、備えたりする。
それは他の猿の立場が想像できるということである。
その高度なものが人間で、自己の自覚は、他己の認識の自分バージョンだ。
人間はこれでもって、自己の行動とその結果を評価し、記憶する。

とにかく、人間にとって重要なのは他者と自己の意識で、つまり、社会性だ。
これが無い人間、サイコパスというのがいるらしいが、おそろしいことだ。

人間と人間との関わり、社会的な意味の倫理、これのために死ぬ。
それがやはり最も人間的な死かもしれない。


by lebendig | 2007-02-02 11:43