そもそも「政治」とは

猿山にも社会があり、それゆえ政治がある。
社会があって、それが機械のようにかってに動くというのは現代人だけの妄想。
政治なくして社会は動かない。
猿と人間は同じだからである。

ボス猿が政治的な行動をして、雌猿、若い雄猿、子猿などがその振る舞いに呼応、
それが社会的関係を猿の間に作り出し、社会になる。
猿どうしの関係なしに社会はないし、猿山もない。
インターモンキーが重要なのである。

人間も最近は引きこもりやニートのように関係もしないで社会の中に存在する人もあるが、
基本的に人間と人間との関わりがなければ社会は成立しない。
通勤電車に詰め込まれた人間たちは、
近接してはいるが社会は形成していない。
しかし、そこで何らかのコミュニケーションが多少なりとも生ずれば、
そこには出現する。

社会を存在させるためには、
常にその社会全体に関わるコミュニケーションが必要である。
そこで「政治」なるものが、つまり「国」という社会の全体に関わるコミュニケーションが必要なのだ。
社会を維持するには、基本的にその中身は何でもいい。
暴君が私腹を肥やすために政治をしようが、
構造改革であろうが、土建政治、貴族政治、戦時国家体制、
なんでもあり。

無論、それは社会が維持されるためだけに必要だというであり、
社会が幸福であるか否かは全く別問題である。
たとえば、日本がきわめて独立性の高い道州制になり、
関西では標準語が大きく変更され、
東北北海道では経済を完全にブロック化し、
電波も新聞も分割し、互いに関心を持たなくなったら?
事実上分裂である。

大ブリテン連合王国がそうだ。
日本人がイギリスといってるのは、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドだが、
オーストラリアとかニュージーランドも連合王国の一部で、ホントは元首は女王である。
コミュニケーションがないと国だってバラバラである。

おなかが痛くて首相がやめたとか、
2世3世がどうだとか、
格差社会、年金問題。
これをネタに我々は国家社会を束ねるコミュニケーションをしている。
中身が相当低レベルであるが、
やっぱり、日本は大きな一つの社会なのである。
完璧な国家社会が形成されたなら、
むしろそこから日本は分裂し始めるだろう。

くだらない与太話や、インチキくさい選挙の話で国家統一。
これが日本である。

旧陸軍の妄想とかオウムとかよりゃマシか。
しかし、もっとなんかあってもいいんじゃないの?
くだらないおしゃべりが続き、「日本」もつづく……
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by lebendig | 2007-09-19 03:28
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