「靖国神社」よ、さらば。

明日、終戦の日、靖国神社に参るか参らぬかでテレビが騒いでいる。
中国と韓国(だけだが)も騒ぐつもりらしい。
だが、このあほらしい騒ぎも、あと10年もすれば消えてなくなるはずである。
問題が解決するからではない。
騒ぐ人間がいなくなるからだ。

かといって、それは戦争を知らないだけでなく、全く関心のない、「不届き」な若者だらけになるからではない。
靖国神社に英霊が集っていると思う人が死に絶えるからである。

少し頭を冷やせばわかることである。
そんなオカルトは、本当に気休めにしかすぎない。
人間死んだら無である。
だから、人間の生はこの上なく尊いのだ。

だが、その尊い命をむなしく投げ出した人々があった。
その友人や家族は、そんなむなしい話を信じたくはない。
だから、未だに「靖国神社」を信じている。いや、信じたい、だから、信じるのである。
それは悲しい人間のこころだ。

靖国神社は長州軍、帝国陸軍がご都合で作り出した新興宗教である。
麻原彰晃の宗教と同じく、旧来の宗教の信用と威を借りて未だに活動している。
はっきり言えば、全部嘘宗教である。
神道に価値があるとすれば、それは古代の人々の世界観であったからだ。
現代人がすぐにでも理解し信仰できるような、そんなものは神道ではない。
古代仏教に似せて作られたオウム真理教と全く同じ代物である。

オウム真理教に殉じ、生を失った人々が多くいた。
オウム内部でも相当死んでいる。
彼らの死を無駄死と思いたくない人々も多くいるだろう。
彼らはそれゆえにいっそうオウムから離れられなくなる。
しかし、我々はその信者を受け入れられるだろうか。
問題は靖国神社も全く同じである。

ただし、靖国神社のオカルト宗教のマインドコントロールは、国家を挙げて行われたのだからなかなか解けない。
戦争に悔いを残した人までも、「靖国神社」に頭を下げに「参る」始末である。
英霊になるという嘘話と引き換えに、多くの若者が死んだ。
もちろん、真っ赤な嘘宗教だから、「英霊」なんてオカルトな霊魂は存在しない。
本当にひどい話だ。
本当に腹を立てている人がいる。
しかし、この嘘話、でも、信じていれば存在すると思ってしまう、思考の弱い(いやもしかしたら優しいのか?)ひとがたくさんいて、最近は再生産しようとしている。

古書店で大変古い戦争の写真を見たことがある。
今の若者よりずっと幼い(純朴な)顔をした少年兵の亡骸が、南洋の小島の浜辺に延々と横たわっていた。
砂に半分埋もれ、眠るように目を閉じていた。
あるいは東京大空襲直後の市街の写真。
手足を屈折させ、真っ黒にこげてしまった遺体がごろごろ道ばたに転がっている。

彼らはその死と引き換えに、宗教的、オカルト的な報いを受けたというのか?
彼らはただ死んで無になっただけである。
残された身内や友人が、霊魂が英霊に格上げになって、長州神社に来ているとか騒いでいる。
滑稽を通り越して、悲しい光景である。
血を流し、こげていく断末魔の苦しみが、彼らの存在の最後の瞬間であった。
その苦しみに応じて、死後になにか得られたなどということは全くない。

最近の産經新聞的論調の論理はあほくさい。

東京裁判は不当である。
故にA級戦犯なるものは受け入れがたい。
したがって、A級戦犯ということでもって靖国に祀られないのはおかしい。
かつ、これは宗教の問題だから、外国が何か文句を言うのは内政干渉。
それ以前に、神道についての無理解が軍国主義復活という倒錯的反論を生んでいる。
こんなところだろう……

この主張の根底には、マッチョにメンチきるのが独立国家の証し、と思っている、幼稚な心理がある。
安倍とかのナイーブさはそこにある。
ほとんど亀田兄弟、というよりその親父。
その幼稚な心理に上の5行の理屈がくっついて、まんま信じた馬鹿が全く同じことを言っている。
これは知性を測る物差しである。

1番目の東京裁判が不当とか言っているが、もちろんフェアーではない。
この理屈にも、後知恵があって、それこそフェアーでない部分があるが、まぁそのくらいは許そう。
しかし、A級戦犯は不当裁判によるものだ、という理由で、A級戦犯を宣告された人々がイノセントであったということにはならない。
彼らは幼い幼いこども、死ぬには若すぎる若者、そして、無数の人間の未来と自分たちの野望
を秤にかけた。そしてあまりに惨めな、無数の死をもたらした。
彼らは、それが「仕方がない」から、無罪だと考えた。
しかし、国民にとってはそれが死よりも重い罪であるはずだ。

また、神道は悪人でも祀るとか言っている馬鹿がいる。
日本のどこに悪人神社があるのか。
あるのはたたりを恐れて祀られた神社である。
怨念。これが日本の神道を理解するためのキーワードだ。
東条なんかは、逆に何百万という人間の怨念の対象だから、
彼が、自ら死なせた人々の怨念を沈めるための、死者を祭神とする神社でもたてれば良かったのだ。
なぜ怨念が残るのか。
東条の怨念なんてのは聞いたことがない。

論理も不完全で、神道の知識も中途半端。
馬鹿がとびつく論理だ。
しかし、大挙してとびつくとは日本人も情けない。

日本を守ると言って、彼らは何を守ったのか。
国民の命と人生だろうか?
彼らは日本国が、それとは別のところにあると考えていた。
彼らの妄想的野心こそが「日本国」だったのだろう。

幼いこどもの命を守り、助け合い、かけがえのない瞬間を共有していく。
それ以上に大切なことはあるのか?
皆死に、無になる命である。
油が多少足りなくたって、人間は幸福に生きることができる。
原始人であろうと、古代人であろうと、小さいこどもの世話をして、その成長を見守ることができれば、幸せである。
人間が生きるところ、全てに、その幸せがある。
貧しくとも、暑くとも、凍えてもだ。

この唯一のものと、勝手な妄想を引き換えにした馬鹿がいたのである。
言ってしまえば帝国陸軍である。
彼らの思考は、常にある程度死んでもかまわない、という前提のもとで動いていた。
いや、全部死んでもいいと。
靖国にきて魂のランクアップがあるから大丈夫、だと。

本当にそんなこと信じていたら、秋田の殺人犯と同じである。
自分がついた嘘(宗教)を自分で信じてしまっていたのだ。
いや、もしかしたら、うそっぱちとわかっていたなら、最低だろう。
その歴史や文化を尊重もしていない天皇を担いで、やりたい放題やってきた長州軍の最後がかれらだ.

東条英機そっくりのおばあさんがでてきて、言いたい放題言っている。
だがやはり東条は南部の面汚しである。(靖国の宮司になった南部の殿様もだが。)
捕虜になれば全うできた命を、東条のせいでむなしく投げ出した若者が何万人いたのか。
孫は自分たちの苦労話ばっかりやっているが、両親の死んだこどもが孤児としてどんな人生送ってきたのか知っているのだろうか。
恥知らずである。

いまだ妄想の宗教と国家を信じ、人間の生の儚さを知らないバカが多すぎだ。
明治維新以来、日本は最低国家になって、人間が何かも忘れたのだ。

それにしても、東条の切腹失敗は噴飯ものだ。
頸動脈きるか、介錯させれば確実である。
人は軽く殺しても、自分の命は惜しいのだろう。
しかし、そんな器量の人間でなければ、あんな馬鹿は続けられなかっただろう。


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by lebendig | 2006-08-15 01:05
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