哲学は滅びる?

おそらく「哲学」は滅びるでしょう。
いや滅びなければならない。

飯の種なのに、何でそのようなことを言うのか。
それは腐っているからです。哲学が。

哲学的に厳密に問うならば、
その哲学とはいかなる定義か、
そして、腐る、とはどのような定義か、
ということを明らかにしておかなければならないでしょう。

哲学というのは、日本とか欧米とかで行われている、ギリシア以来の奴です。
伝統とか言って、しかし、ネガティヴな継承の仕方。
しかも、哲学者というのは、単に文献とか歴史的な知識に詳しいだけなのに、
そちらではなく、知恵の方があると自己解釈してしまっている。
自分で哲学するのが重要とか言って、何か言うたびに横文字の哲学者の名前をくっつけずには不安で仕方がない。
自分の言葉に責任もてよ。横文字に責任負わせて、結局、それはよっぽど調べないと検証不可能ということで沙汰やみになる。
卑怯ですね、この手の論法は。事実上検証不能な論拠を示す。
しかし、論拠の正当性の証明は主張した人間にあるのではないでしょうか。
PL法のこのご時世で、そんな論法で自分は責任負わない高みにいるというのは受け入れられないでしょう。

いろいろ言いましたが、結局、彼らには問いが欠けている。
人間としての問い。生きる問い。あるいは死の問い。
哲学がへりくつの口げんかだったら、犬も猫も食わないでしょう。
くだらない。昔から日本では、膏薬と理屈はどこにでもくっつく、と言っていました。
たしかに、「哲学」はそんなことしている。

何も知りたくないから、くだらないゴミのような議論が山のように蓄積していく。
そのゴミの山に精通することが、哲学者のギルドへの参入条件。
このギルドのはいると、人間の位が上がると思っているらしい。
そう思っているから、一般向けの哲学書の文体は気持ち悪い。

こんなものにつきあっていたら、重要なことを見失ってしまう。
重要なのは、重要なことから目をそらさないことだろう。
重要なこととは、生きる人間として重要なこと。
客観的基準などない。人間存在の本質から必然的に生じる問い、
これによって人間は特別な存在となる。

しかし、哲学するのがその問いから最も遠い、得意な嗜好の特殊存在だったら、哲学は重要どころか、無用の長物。学問のなかのアキバみたいなもの。おたく死ね。
本当の問いを持っている人間さえも、堕落していく。

なくなりゃいいのよ、こんなもの。
一回なくなって、最初から、本当に問う人間だけで始めりゃいい。
いまは、腐っております。

もう少し、「哲学の本質」について論じておいた方がいいな。
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by lebendig | 2004-05-24 22:36 | 日記
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