森繁久弥もいいとこある。

雑誌を読むと、こんな事が書いてあった。
森繁久弥の自伝の一節だと言うことだ。

彼は終戦時、満州の新京にいたらしい。
新京は、ひと月書けて国境付近から逃げてきた開拓民達が、たくさん死んでいったところだ。
森繁は偶然その人々の遺体置き場へやってきた。
そこで彼は多くの幼い子供達の遺体を見つけたらしい。

森繁はその「骨と皮ばかり」になった子供の遺体の、「垢だらけの頭」をなでてやりながら、涙が止まらなかった。
そして、空に向かって石を投げた、と。

その子供達というのは、親が弟妹を殺すのを(泣いてソ連軍に見つかるのを避けるため)、そしてソ連軍や中国人、匪賊などに惨殺されるのを見てきた。
そして飢えの中でようやくたどり着いた町で、飢えと寒さ、伝染病に苦しんで一人で死んでいったのである。

森繁はその子供達の頭をなでてあげたのだから、いいところがある。
彼は子供達にしてやれることをしたのだから。
伝染病の可能性もある。
あまりに不憫な姿だったのだろう。

このような無惨なことが起こったことの、責任はどこにあるのか。
ソ連軍が悪い?いや、そんなことをする連中だと言うことは誰でも知っている。
それを知って、子供達をそんな状況においたものには、未必の故意がある。
子供が何人悲惨な死に方をしても仕方がない、と。

戦前の軍隊は勝ち目がない戦いを無理に続けたのがいけない、と批判する人がいるが、そんなところはポイントではない。
買ったとしても、守るべきものを失っていたら、それは敗北よりも悪い。
子供がこんな死に方をするのでは、勝っていたとしても負けである。
いや、最悪である。
戦略の中に、最初から開拓民を盾にすることが前提にされていた。
満州の経営そのものが、最初から最悪だったのである。
多少想像力を働かせれば、どうなるかわかっていたはずである。
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by lebendig | 2005-08-09 05:59
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