そんなに哲学が好きか?

哲学に何か運命を感じてしまう人。
哲学以外は腐っていると思う人。
もう自分は哲学の人だと思う人。

みんな逃げなさい。
あなたが乗り込もうとしている船は、泥舟だ。
いや、幽霊船か。

本当は腐れ舟。
澱みに傾き、悪臭放つオワイ舟。
いや、オワイは肥やしになる。
単なる朽ち舟。

「いや、俺が本物の哲学を見せてやる。」
いや、その意気は結構。
だが、その「哲学」って何?
そのコトバは重要か?

それは単に、最も重要な知の本質について探求する、という意味ではない。
歴史の垢にまみれているのだ。
垢にまみれているというよりも、それ自体が垢。
哲学とは垢太郎なり。
まちがい。
垢太郎では良い意味になってしまう。

だから、哲学というコトバにこだわる方は、どんなに志が高かろうとも、もうすでに蟻地獄に落ちかけている。
もうすでに死んでいる、のである。


わたしも若かりし時、死に掛っていた。
しかし、偶然にも死に掛っている自分に気づいた。
極度に疑い深かったのと、運が良かったのと、、、、
いや、どこかで足を踏み外していたらと考えると恐ろしい。
詰まらんことを口角泡飛ばしてわめき続けていたかも知れない。

内実のない言葉に幻想と妄想、倒錯、いろいろくっついて出来上がった垢太郎(ネガティブ)が哲学だ。
後に長じて力持ちになり、大暴れ。
いまや過去の人となりつつあるが、まだまだ信奉者も多い。
しかし、最初から垢だった。

哲学の外部から哲学を買いかぶって見ているひとは気をつけたほうがいい。
みんな腐っているから。
一見難しそうなコトバとか、知らない横文字の名前とか、あれは目くらまし。
この百年、哲学はひとつも本来の役割を果たしたことなどなかった。
(哲学者以外の)期待に応えたことなどなかった。
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by lebendig | 2005-08-04 22:24
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