「学問」で自己嫌悪

別に自分の論文に自己嫌悪しているわけではない。
誰かの論文を目にして、「アカデミック」だなぁなどと思ったりしたところで自己嫌悪なのだ。
なぜか。
まぁ、このブログを少しでもさかのぼればわかるように、「学問」自体が本質からおかしい。
さらに、そんな世界で「認められたい」なんて了見が狭すぎる。
と、自分もそれしてみようかな、と思ってしまうところが情けないのである。
この業界に長くいると、やっぱり毒されてくる。
職業病である。

本来の目的を見失い、手段であるはずの学問が目的になる。
もちろんそんな「学問」が意味あるものであるはずなどない。
しかも、ヘンチクリンな人間が作る学会のなかで「認められ」たい、などと……
「だれ」に評価してもらいたいのか、この俺よ。
バカバカばかばか、おれ。

と、自己嫌悪するわけである。
誰が認めずとも、この自分が認めればよい。
自分が基準となれるまでに、徹底的に考え抜いていればよい。
いや、考え抜かなければならない。
本当は誰か先に考えてくれていればいいのだが。

変な人間でフェティシズム集会をして、内輪で評価しあう。
あーやだやだ。自分がそれに少しでも近づいたところがなさけない。
学問なんぞ無くったって、何にも困らない。ちょっと不便なだけ。
不便で死ぬことはあまり無い。
なにしろ人間は、生まれたときから今日までほとんど「学問」なしで生きてきた。

それより大事なものは。
自分が今、生きてあること。
そしてそれが充実するなら尚よし。
それが一番大事。
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by lebendig | 2005-07-25 02:10
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