確かなものが儚い

我々の目の前にある世界は確実である。
いつでも裏切ることはない。
1+1=2
三平方の定理
数学は裏切らない。
あるいは、自然法則。
自然が裏切らないことも確実だ。

私の目の前にある机。
これにふれるならば、確かにそこにあることが確かめられる。
目を離したすきに消えてしまうことなどない。
ふと気づかぬ内に私が別人になっていることもない。

お金を使うとなくなる。
酒を飲み過ぎると酔っぱらう。
夜更かしすると朝がつらい。
全部正しい。

他人につらく当たれば恨まれる。
歯を磨かなければ虫歯になる。
人に尽くせば慕われる。
いくらでもある。

もちろん、予想外のことだってある。
しかし、それは初期条件をきちんと把握していなかっただけだ。
すべてのことを正しく把握すれば、唯一の答えが導き出される。

我々が日々確かめつつ生きていることの世界は確実な世界だ。
目をつむっている隙に消え去ることは決してない。
だが、もっと確実なことがある。
それは私が死ぬ、ということである。

死なない人間はない。
しかるに、私は死ぬ。
世界の確実さを信ずればこそ、この命題は真である。
この確実な世界も私と共に消え去る。

これだけ確実なものが、あっという間に儚くなる。
この矛盾に昔から人間はとまどってきたのである。
今私が存在することは、事実である。
もちろん確実な事実。
デカルトのあの命題に似ているが、ちがう。
彼はそこから永遠の魂を導き出した。
だが、よく考えれば、今の私は過ぎ去ったあの「私」ではない。

遠い記憶の中の私。
それは「今」ある私と同じではあり得ない。
私も過ぎ去っていく。
変わらないものをかき集め、変わらぬ私を妄想してみても、むなしい。
ヒュームは何を信じたのだろう。

儚くむなしいものを否定し、確実な永遠の世界を夢想したところで、私自身が儚いのである。
古来、人びとは人生の最後に及んで、この儚さを常に慨嘆していた。
それは、未だ生あるものへの伝言である。
その心を慮る人には、真実がかすかに見えていただろう。

肉親が、兄弟が、恋人が、親友が、妻子が、そしてすべての人びとが、跡形もなくこの世界から確実に去っていく。
そしてこの私もである。
全く信じがたいが、しかし確実なこの事実は、この世界の真実の姿でなくして何であろうか。
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by lebendig | 2005-07-20 18:58
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