哲学する人間はだいたい馬鹿である。悪い意味で…

少し前になるが、日本哲学会に行った。
一橋大学である。って……。
情けない…。
何がって、シンポジウムのときたくさん集まっていたが、その雰囲気である。
来てる人間、大学から一歩出たら、とても一人前に働けないし、一人前に認めてもらなさそうな、貧相な、感情のシステムがおかしくなっているような人ばかりで。

もちろん、昔から出ているが、なぜか今回は厳しくそう感じた。
なぜだろう。多少なりとも哲学に希望をみていたとき、その時には、エキセントリックな、あるいは世間離れした、おかしな部分は、哲学の有用性、あるいは可能性と相殺されると考えていたからかもしれない。
つまり、少しぐらいおかしくなくては哲学はできないだろう。
しかるに哲学はなされねばならぬ。したがって、変な人間がたくさんいるのは仕方ない。いや、免罪される、と。

最近は、無用の長物どころか足枷のような、呪われた学問だと考えている。
そんなアナクロニズムそのものの学問やってる人間が変な人間ばかり。
そして、口角泡飛ばし、自分のやってるテツガクの「有用性」を訴えている。
だいたいにおいて、こんな種類の尊敬できない人間を確実に製造してきた学問に「有用性」なんてないだろう。
こんな人間になりたいか?
ニューヨークへ行きたいか?

哲学は有用性なんかでははかることができない。いや、はかってはいけない。
これは哲学の常套句。
しかし、ではどんな意味があるというのか。学問として証明せよ。
はっきり言って、アナクロニズムそのものの、哲学やってる人間以外は全く取り合う事のない、何百年も前の思い込み存在論を平気で前提する学問なんぞ、全く必要なし。

たくさん「お勉強」して、ようやく「てつがくしゃ」になれたんだからと、貧乏臭い。
自分のお勉強が、自分の思い込みが正しかった事を何としてでも信じていたいのだろう。
しかし、もう用済みだ。
哲学史を学ぶ事はヨーロッパの本質を理解するため必要だった。
いや、ヨーロッパ人になりきるため必要だった。(本質なんぞ理解しちゃぁいない。)
だがそれもおしまい。なりたかない。人類滅亡の主犯格にはなりたくないから。それでも共謀共同正犯。しかし、改悛の情を見せて、最期に昔のまともな頃の人間の心を取り戻せば、許されはしないまでも、人間らしく死ねるのではないか。

哲学史は少なくとも文化理解のために必要であった。そのものとしては結果的に無意味な議論であったが。
しかし、今日、我々に求められているのは、それらを完全に卒業してしまう事である。
そんな事は昨今の状況みればわかるはずである。
このままではだめだ。
そんな事さえわからない「バカ」が哲学やっているのか。

環境問題であろうと、なんであろうと、自分がこれまでやってきたお勉強の記憶をこねくり回して、答えですよ、なんておこがましい。貧乏臭い。滅びよ。

何が問題なのか、わからない人間たち。
趣味でやってれば多少は害を減じられるが、「教育」なんてやっているのです。
まぁ、この教師ありてこの学生あり。この学生ありて、この教師あり。
われ鍋にとじ蓋ですよ。

自分の大好きな世界観、いや、「世界」を守りたい、という事でしょうか。
気持ち悪い。秋葉原の方がまし。なぜなら、アキバには多少なりとも自覚、恥じらい、自己嫌悪があるから。ほんの少しだけど。

しかし、そんな惨めな人間たちの閉鎖世界にこだわっている暇はない。
我々一人一人、刻一刻と死に近づいている。
我々人類も、最期へと向かう歩みを早めてさえいる。
そして答えはまだない。
そんなときに、重傷の自己愛学問フェチ集会で盛り上がっている様を見て、人類に未来がなさそうなことを思ったのでした。

哲学を人類の最高の知の営みと定義すれば、それこそ、今必要な事である。
しかし、これを既存のアレと定義すれば、今最も無用のナニである。
指示代名詞ぐらいがお似合いだ。


昔は哲学を批判したニーチェを「哲学」じゃない、とか、哲学のちゃんとした議論をしてないとか、そんな事言って、哲学のセンセイ方が否定なさるのを、そんなもんかな、と思い、そこには何か根拠でもあるのでは、と思っていました。
しかし、最近ようやくわかってきました。
アレは口だけだったという事が。
自分たちのお勉強の記憶、大好きな世界観を壊されたくなかったんだな、と。
だって、ニーチェとヘーゲルとかカントならべて、後二者が正しいなんてあり得ない。だって、理屈は細かいけど、結局オカルトですよ。理屈と膏薬はどこにでもくっつく。
まさしくその好例です。大前提がオカルト。そんなの正しい訳がない。
しかし、それでも食い下がり、その過程でなされた議論には意味がある、とか、これも常套です。結局ロンリ的ゴウリ的思考の必然性とか考えているのでしょうが、結局何の生産的な議論もそこから始まらなかった。歴史が証明している。

歴史。
それは事実。
もうテツガク者は引きこもりをやめて、それを見つめた方がいいのではないか。
散々な結果が出ているではないか。彼らの大好きなヨーロッパの思想の報いで。
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by lebendig | 2005-07-11 00:59
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