優先順位を明確にせよ

人間の悩みのほとんどは簡単に解決する。
問題の優先順位を明確にするという事だ。
何が一番大事なのか。これが問題なのだ。
しかし、お金と愛ではどちらを優先させるか、といった好みとか性格に依存する、問題ではない。

何が人生の目的か。
何が人生の意味か。
何のための人生か。
人間とは何か。
それが問題、大問題、唯一の問題である。
これが確定すれば、あとはすべて自動的に確定する。
ただし、これが最も難しいかもしれない。
しかし、確定しなければならない。

そんなことに答えが出ないとき、どうするか。

究極の答えでなくともよい。
少なくとも、どんな条件があるのかくらい確定できる。

たとえば、
人生の究極の目的はとりあえずはわからない。だから、その目的の探求が当面の一番の目的である、と。
あるいは、
究極の答えはわからない。しかし、少なくとも人生の意味とか価値に軽々しく答えを出したふりなどしない、と。
また、
答えは知らぬ。だから、答えを騙る世間のあらゆることばを信じない。そのかわり、人生の意味について謙虚な態度を取ることば、あるいは、その言葉を超えた深い意味を認める言葉を尊重する、と。

今日、青臭い、子供じみた、独りよがりの、押し付けがましい、最終的には「嘘」の人生論がまかり通っている。
それは若い人間だけの話ではない。年寄りでも思い込み人生論である。
人間の生をなめているのだ。

大して考えもせず、古今の言葉を軽んじ、自分の思い込みを買い被る。
その「人生論」自体も聞かされる方が気恥ずかしいが、そんな思い込みをする本人の生き方は無惨なものである。人間はそこまで卑小になったのか。
自分の思い込みが人間存在の本質を言い当てていると本当に思えるのだろうか。
古の人々が生涯をかけて届かず、しかし、わずかずつに手がかりを後世に伝えてきた問題の答えを、なぜ自分がなにもせずにわかってしまえるのか。

わかったとおもったならば、頭がおかしくなったと思わなければならない。
だが、今日、頭がまともな人間がいなくなった。
自分がいったいどれほどのものか、認識できているのだろうか。
多少なりとも考えれば、謙虚になろうものを。

単純な論理的思考能力が必要。
だが、幼稚な自己認識があってはならない。
そこが最も難しいかもしれない。
幼稚な人間ばかりの国になってしまっているからには、如何ともしがたいのか。
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by lebendig | 2005-07-10 00:47
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