本のこと

最近気付きましたが、私の書いた本とはどんな本か、との質問をいただいていたようでした。
ただし、半年以上前に。
長らく中断しておりましたので気が付きませんでした。

言いたいことを書いているこのような場ですので、書名ははばかられます。
内容について説明したいところですが、ある程度以上説明すると、特定しやすくなってしまいますので、限度内で(ある程度絞ることが出来ても、特定できない程度で)紹介させて頂きます。

見た目からいいますと、ハードカバーで案外厚めの本です。
背表紙は白い本です。
内容は、とある有名な現代の哲学者の思想の解釈を軸に、哲学の本質的な問題を論じたものです。
それ、誰?ということですが、それを言ったら特定されやすくなります。
この哲学者自身が本質的であると言っている存在論的な主張を、理論的に考察したのですが、様々な制約のためこの作業をした人は極めて少ないのでばれるのです。
日本だと、近年某旧帝大を退官した方がずいぶん昔にある程度論じたことがあるくらいで、他には聞いたことはありません。
本国では、前世紀の偉大な哲学者が論じたことは有名ですが、戦後は正面からまともに研究したものは極めて少ない。
まあ、はっきり言って非常に解釈が難しく、内容とは別のところでその思想は批判されて議論を回避されることが多かったのです。
しかし、これは文化文明の根幹に関わる決定的な思想であったといえるでしょう。
って、同業者でしたら、ある程度わかるかもしれません。

自分自身でこの本は学問的な謙虚さからは遠く、正面からものを言ってしまっていて、無防備だと思いますが、間違いなら間違いと指摘して頂きたい。

哲学の学会というのは気持ち悪い。
正面からの議論を回避する。そしてそのために、正面から哲学的な問題を論じたり、取り上げたりしない。
さらに、卑怯なことに、あたかも正面から本質的問題を議論する!!ってな文体で書きつづる。
その実、幾重にも逃げ道を用意して。
よくあるのは、本人以外調べる気もしないようなトリビアルな文献の問題を根拠として、言いたいことを言うもの。簡単に言えば、根拠の検証を不可能にして、言いたいこと(詰まらぬ政治的妄想とか多いですが)を言うというもの。
はっきり言って、自分の思いこみを他者に押しつけるのが目的で、批判はノーサンキュー。

まあ、結構ですが、批判を受け、議論していく中で初めて前進がある。
もちろん、前に進むのが目的ではない、自己表現の方がたいへんおおいのです。
しかし、私はちがう。
なんでそんなに言い切れるかというと、明確な目的が他にあるからです。
最近、アンパンマンの主題歌の中にそれが歌われていることに気付きました。

 わからないまま終わる そんなのはいやだ

アンパンマン関連の歌すべてを作詞している、アンパンマン作者のやなせたかしは、手のひらを太陽に、の作詞でも知られ、生や死に絡む言葉がよく出てきます。彼の表現の動機にそれがあるのでしょう。
嘘でもいいから夢を見させて、という人が多いようですが(そのうち夢を本当だと信じてしまう)、私は疑い深いのか、それは絶対いやなのです。
いやな真実でもいいから、真実の方がいい。
なぜなら、偽りを信じていたとしても、真実は確かに一つ。
そして人生は一度。
真実の認識から初めて、一ミリでも確実な前進をしたい。
だったら、自分の詰まらぬ主張なんかどうでもいい。
おかしいところを指摘してくれないとかえって困る。

やたら長くなりました。
私にはまだまだわからないことが多い。
いや、一番大事なことのほとんどがわからない。
わからないと言うことはわかっているが、わかるとどうなるのかもわからない。
どうわからないのかもわからない。
徹底的に何もわからない。

しかし最近は「わかる」ということなどない、ということが得心されてきました。
本当に本当にわからないと納得する。
これもまた前進かと。
真実の認識、しかし、そこからどこへ進むのかこれもわからない。
すすまないかもしれない。
所詮人間は猿。
アミノ酸の固まりが、偶然作り上げただけの「存在者」。
そんなものがこの世界の本質的なことについて「わかる」なんてことがありましょうか?
人間は神の似姿、という宗教的妄想がなければ、ですが。

わからぬをわかる。いや、わかってはいけない。わからぬをわからない。わからないもわからない。
ようするにそんなことですが、字面を負っても意味不明。
仏教みたいなもんです。
しかし、仏教は最後のところでやっぱりわかってしまう。
わかったらだめ。
しかし、答えがなけりゃ宗教にならない。しょうがない。

仏教はいいや。
なんか話が遠く遠くへ来ました。
このように私は考えたりしますが、さらに、そんなことをふまえた上で、それを乗り越える知が自覚的に築けるのではないか、ともおもいます。
人間は馬鹿だが(人間以外もすべて馬鹿だが)、それを自覚すれば、馬鹿以上にはなれる。
その可能性はある。すこしでも。

しかし、私の本当の関心は知ではない。
死が一番重要。その反対の生、これがいとおしいから。
意識を持ち、自らの存在に気づいている人間存在にとって、これ以上の関心事はないはず。
これに興味なければ、それは逃避か、頭がアホになっているか、いずれかでしょう。

これを知るためには、人生は短い。
まだだれも確実な応えに到達していない。
自己満足はたくさんたくさんおりますが。
一秒でもはやく、そして確実に、少しでも前にすすみたい。
これが私の哲学の動機であり、姿勢です、
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by lebendig | 2005-03-13 01:37
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