猿の「学問」

気が付きました。
哲学だ学問だ、と、何かたいそうなことやっていると思っておりましたが、違いました。
学問に人類の可能性を託そうとしたりするのはやめましょう。
なぜって、もう結果が出ているからです。
環境問題は解決できませんでした。
問題はどんどん悪化するままです。
エコロジーとかいって、本質的問題の解決には目を向けてません。
どうすれば元の地球に戻るのか誰も知りません。
悪化のスピードを緩めるさえ出来ません。
これが人類の「ちえ」でございました。
自分たちが死にかかっていてもどうも出来ないんですから、「ちえ」なんてたいしたことなかったわけです。
この状況で、「人類の未来は学問の取り組みにかかっているのです」とかいってまとめようとしても、それはオカルトですね。根拠無いから。
私は、学問自身の中にかすかでもその可能性があったならば、そこにかけるべきではないか、と考えておりました。
でも、地球規模で気候変動、生態系の破壊が現実のものとなった。
そのとき、これはほんっとうにヤバイ、と努力始めればよかったのですが。。
何も始めず、希望もなく、、、でも人間って生きていけるもんですね、ワールドカップとか、他にいろいろどうでもいいことに熱中してすごしていく。
適応していると言えばそうですが、状況に身をゆだねることしかできない。
「ちえ」というのは、そういうものを乗り越えるためにあるものだったはず。
でも無かったのです。
猿知恵とか言いますが、人間知恵です。人間もまた猿。。。

しかし、そうとわかれば、「人間」以上になればよい。
「人間」よさらば。人間的な人間よ。
と、くれば、もう、人間を超えてゆかねばなりませんね。
[PR]
by lebendig | 2005-03-07 17:23
<< 戦前から腐っていた! 大人子供老人若者 >>