このブログ、テーマが哲学だった。
といっても、その最期であるが。 ニーチェ本が売れている。 癒されるそうである。 ニーチェも役に立つものだ。 いや、いまどき、どんな「哲学」でも役に立つものとして売り出されている。 役に立つ、というのは、今時は癒される、ということである。 現代は人間の心を疲れさせ、病ませる。 これが一つの条件である。 そしてもう一つ、哲学であろうと宗教であろうと、ありとあらゆるものを道具として使用する。 これが二つめの条件である。 マルチン・ハイデッガーは集立という言葉で現代を表現した。 たしかに、ニーチェの思想であろうと、あるいはハイデッガーであろうと、癒される部分だけ持ってきて、わからない部分はきれいに捨てて、適当な言葉を付け足して、マンガもつけて、、、、 そうして、ニーチェやハイデッガーまでもが存在させられている。 哲学とは役に立つ、哲学は癒される、哲学は楽しい、哲学は、、、、 逆に、役に立たなければ哲学ではない、癒されなければ哲学ではない、楽しくなければ哲学ではない、となる。 終いには、つまり最期には、哲学の目的は人生に役に立つこと、就職に、落ち込んだときに、暇なときに、などなど。 別に哲学でなくても、すべてそうである。 学校も、勉強も、学問も、就職も、結婚も、子育ても、定年も、そして老後と人生の最期も。 すべて、癒されて、楽しくて、おもしろくて、、、、でなければ、と。 果たしてそうだろうか? ニーチェの言った生は、たとえば岡本太郎的に表現すれば、痛切なものである。 そのリアリティーを生とよんだ。 夢うつつの宗教的妄想を切り裂き、まじまじと生を見つめたのである。 それが果たして万人にとって心地よいものであろうか? 誰にとっても心地よくない。 ハイデッガーに思想も、重い不安を耐え抜く。 生の自覚、存在の自覚であり、覚悟と根性、勇気、力があるものだけ過一見ることが出来る「深淵」である。 結局、人格的に選別される。 その人にその人の力量に応じた哲学、だが、ハードルはかなり高い。 哲学は万人に到達可能な知識ではなく、やはり「学問」、人間の道である。 それにしても、ニーチェ、ハイデッガーはフィロソフィーの最期であり、 学問の入り口にしか過ぎないのかもしれない。
by lebendig
| 2011-03-10 10:08
|
ライフログ
以前の記事
2013年 04月 2011年 10月 2011年 07月 2011年 03月 2011年 02月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 01月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 10月 2008年 07月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2006年 12月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 04月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 04月 2005年 03月 2004年 09月 2004年 05月 フォロー中のブログ
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||