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小沢一郎党首辞任の意味

民主党党首の辞任が、哲学に何の関係があるのか?
と一瞬思ってしまうところだが、
この一件は、相当大きな問題につながってくる。
多少ものを考えることが出来る人間ならば、
変なことにいろいろ気付いてしまうだろう。
この一件、一言で言うならば「小沢は汚いっぽくない?みたいな」キャンペーンである。
ところで、
「説明責任」とは何か?


まず、説明責任ということばが、広告キャンペーンのごとくある時点から連呼されたことが不可思議である。
送検されなくとも、説明できないのであるならダメなのだそうだ。
しかし、何を説明するというのか?
これこれこのような利益の誘導の見返りに献金をお願いしました、
とかいうと納得、ということなら、変な話だ。
していない場合は何を説明するのか?
痴漢の狂言と同じで、無いものには証拠もない。

小沢一郎の弁護でもないのだが、
こんな事は、多少見識があればわかる。
ところが、一斉にマスコミが騒ぎ、その説明の要件は誰も何も言わなかった。
白髪の新聞社の解説員が、気色ばんでで説明責任が!とか喚いていた。
不思議な光景である。
お金をたくさん献金してくれたら、ただ、大変ありがとうございました、というところだが、
金をくれたハラを勘ぐらねばならないのだという。
しかし、むしろ、そんなこと考えてはいけないのではないか?
献金者の個別の意図をおもんぱかったりしては、それこそ政治がおかしくなる。
あと、小沢一郎は、西松だけからたくさんもらっていたのでなく、
いろいろなところからたくさんもらっていたはずである。


そしてもっと不思議なことがある。
新聞社各社の世論調査の数値の著しい違いと、
そしてあからさまな誘導質問である。
そして、ついでに、というよりこれが本質的問題だが、
国民がみんな、あからさまに誘導されて、
マスコミが言わせたい言葉をわーわーマイクに向かってしゃべっていたのである。
一昔なら、質問の仕方とかに左右されず、
己の見識を示す人間がいたものだが、どうも最近は違うらしい。

マスコミが総務省の圧力と、広告収入の低下、発行部数の低下でおかしくなっていることはわかる。
総務省の機嫌を損ねると、地デジ化が遅れているので、アナログ廃止は延期、
などということになりかねない。
そうなると、既に危なくなってきているテレビは救いようが無くなる。
デジタルもアナログも放送というのは金がかかるのだ。
ついでに、電通・博報堂も必衰となる。
アナログ廃止前に、デジタル受信機を政府にタダでばらまいてもらわなければ困る。
それをやるのは、ばらまき政党である。
新聞は、信頼とか見識ではなく収益を中心に動き始めている。


それにしても、世論調査と詐称したアンケートの誘導ぶりは激しい。
誰に、というところでもう怪しい。
また、どのような質問を、
どのような表現で、
どのような順で質問したのか、
これがとてつもなく怪しい。
一応統計学的に求められる条件は満たしているということだが、
それに引っかからないところで何をしているのか?
何もしていないはずはない。
何しろ、調査結果が違いすぎる。

最近では、提灯記事は当然のこと、
ニュースと称して、自社・自局で開催中のしょぼいイベントへの動員を図るやらせ広告ばかりである。
小金をもうけるためだけにこのていたらく。
見識も何もあったものではない。
会社の存亡がかかっていれば、とんでもないことまでやっても全く不思議ではない。


マスコミの悪口ばかりいいたいのではない。
これは社会の全体で起こっているモラル崩壊、教養崩壊の象徴なのである。
しょーもないきれい事をいっているその裏で、すぐばれてしまう愚かで汚いことをやっている。
また、それが見えていても認知できない、アホ化した国民。
騙す方も騙される方も、相当レベルが低くなり、程度が悪くなっている。

何にでも裏がある時代になってしまった。
コネとか利益供与が本当に横行している。
コンプライアンスなんてのは、その隠れ蓑にされる始末である。
環境アセスメントは、環境破壊隠蔽のデータづくりの道具である。
世論調査は、世論操作であったりする。

何兆円という利益誘導が見過ごされ、
多少多いだけの政治献金(たかだか数千万円)の方を国政の中心問題にすり替える。
結果、我々の子孫がとんでもない被害者になる。
しかし、みんな、後々のことなど考えていない。


公器とは何なのか?
見識とは何なのか?
すべて、ドロドロにとけてしまっている。
哲学なんてみんな嘘なんだけど、真面目に信じている人間がいるうちは、
世の中まだマシだったかもしれない。
いや、哲学がみんなを裏切ったから、こうなったのか、、、
# by lebendig | 2009-05-12 01:36

災難を待望する現代人

災害や疫病というものは、あたりまえだが、恐ろしい。
巻き込まれてしまったら、自分自身の生命がかなりの高率で危うくなるのである。
もちろん、家族や友人も。

だが、国とか地球レベルでの災害にはあまりリアルな危険性を感じない。
理屈では自分も巻き込まれる可能性が高いことは知っていても、
人ごとのように報道メディアの情報を求め、興奮している。
現代人は災害が大好きなのである。
昔から野次馬はいたし、公開される処刑に人は集まったものでもある。
そのいやらしいスケベ根性が、今日の災害待望の心理になっているのだろうか。

これは実は、単なるスケベ根性ではない。
現代人は、精神的に相当参っていて、災害を必要としているのである。
我々は、生きる意味を知らず、だが死はおそろしい。
そのニヒリズムの中で、不安を忘れることのできるものに、無意識に飛びつくのである。
ショッピングや趣味など。

そのなかでも、もっとも不安を忘れるのに好都合なのは?
災害である。
特に、自分自身も巻き込まれる可能性のある災害だ。
なぜなら、災害はとてつもなくおそろしい。
我々のぼんやりした不安は消し飛び、明確な恐怖となる。
よって、不安からは解放されるわけである。

しかし、本当に解放されたのではない。
とりあえず、忘れているだけである。
目の前のこの困難を克服することが、当面の目的となる。
究極の目的ではない。
だが、そんなことはどうでもいい。
いまは、それだけが目的だ。

究極の不安は、自分自身の死だ。
無になり虚しくなり、何もない。
私も何もかもが、とぎれて戻らないのだ。
それは無という、底なしの暗黒である。
そんな救いのないものが人生の目的地であるのだろうか?

だから、我々は災害が好きなのだ。
災害の死の危険性によって、自分自身の死への不安が消し飛ぶのである、が、
本当は、全く消し飛んでいない。
災害であろうが、病死であろうが、
人生が短かろうが、長かろうが、
いずれにしても、死は、圧倒的なのだ。
そして、現代人は、全くこの不安に対する処方箋を有していない。
# by lebendig | 2009-05-01 00:41

豚インフルエンザーーーパンデミック!

エピデミックは伝染病だが、
パンデミックは爆発的に流行する伝染病のことだ。
すごい勢いで世界全体に広がっている。
だが、よく考えると、普通のインフルエンザであっても毎年相当の人が亡くなっているのである。
だから、いまのところパニック的に反応する理由は少ししかない。
新種である、という事ぐらいである。
また致死率についても、メキシコのデータを信じると10%で相当な数だが、
他の国では入院しても、だいたい快方へむかっているようだ。

思い起こせば、パニック的な反応があった病気がいくつかあったが、
いずれも、実際にはそれほど大事にはならなかった。
エイズについては、当初同性愛者へ広まって、死亡率についても相当高く考えられていたが、
現在、治療法や薬などの力もあるが、悪い性病の一種くらいの状態になっている。
もっとも、エイズの流行で性に関わる産業の形態や社会のあり方、成人男性の行動など、
大きく変わったということもあった。
エボラ出血熱については、封じ込めなど成功しているのか、今のところまだ風土病といっていいのではないか。
もちろん、いずれも罹患した方には大変なことではあるが、現代のペストというような状況ではない。

来る来るといわれてまだ来ていない鳥インフルエンザがまだこないうちに、
虚を突かれた感じのする今回の豚インフルエンザであるが、これがどれほどのウィルスであるのか、
連休明けにもおおよその状況がわかってくるだろう。

連休明けにわかってくるのは、企業の決算の悪さも、であり、
二つが重なってとんでもない方向へ行くのか、
それとも、実はそんなでもないのか、注目すべき所だ。

東西冷戦の終了やバブル崩壊など大きな変化がこれまでもあった。
個人の人生にとてつもない影響を与えたケースも多かっただろう。
だが、現代社会の構造や本質は代わらず、人間も大きく変わらなかった。
我々は、どんなことが起こっても、それらが変わることはないだろうと高をくくり始めている。
だからこそ、今危ない。
経済も、伝染病も、我々の予想を裏切るのではないかと思われる。
なぜなら、我々が、すでにその影響について予想しているからだ。
予想するならば、ほとんどの場合裏切られる。
予言者でもない限り、ほとんど外れるのは当然だ。


とてつもない災害や、現代文明の転換、
そして我々人間の運命を、
我々の理性を超えたものが支配していると考えること。
それが、有限な人間にとって正当といえる考え方だ。
傲慢にも高をくくるならば、かならず報いがある。

たいしたことがないような、
いや、やっぱり、大変なことになるような。
おそらく、われわれの精神の根底にはおおきな形のない不安があって、
それが今日の我々の不安定な心理状態を生み出しているのだろう。
# by lebendig | 2009-04-28 14:00

新ビジネス、、、

よく考えたら、
将来の職のために莫大な金を投じている人たちが既にいました、、、
霞ヶ関とかそういうところでお仕事されていた方々です。
ただ、自分は払わないで、
仕事を融通したりしたキックバックらしいです。
何兆円という高額のようです。
なかなか新しい商売って難しいのですね、、、
# by lebendig | 2009-03-31 15:54

新しいビジネス?!

これまでどのようなビジネスが儲けてきたのか?
稼ぐ、ではなく、儲ける、である。

バブルの時期に、土地を転がして大儲け、
サブプライム破綻前のアメリカで、債権頃がして大儲け。
これらには共通点がある(!)。

経済状況やものの価値には変化がある。
10年20年となると、実際の所、確定的な事など全く言えない。
経済(の歴史)をよく知る人は、むしろ慎重になるだろう。
だが、無知な人間(で、しかも無知ではないと思いこんでいる人間)は、
目の前の現実から、未来を計算してしまう。

土地が高騰している。
金融商品が流行っている。
じゃあ、将来のために投資しておこうか、と。
アホが迂闊に未来を計算してくれるので、大もうけできるのだ。
賃貸で金払うより、購入してローンを払った方が「得」だ、
と、計算好きのアホが暴落寸前の不動産を一生懸命買っていたので、
マンションやら物件が大量にだぶついている。


で、いま何が不足しているのか?
それは、「職」である。
職を保障すること、
あるいは、何年後かに職に就く権利とか、
こういったものが、いま、本当に必要とされている。
厚生労働省がらみで、なかなか商売としてはむずかしいが、
うまいこと考えれば、出来なくもない。
新しいビジネスモデルは、職にある。
金や土地ではない。

金や土地は金や土地が足りないとき価値がある。
しかし、職だって一時的かもしれない
# by lebendig | 2009-03-30 10:29