ついに、2009年4月。

貧困にあえぐ人々の増加に伴い、
国が浪費をあおり、小遣いまで配るという歪んだ状況が、
おそらく、解消されていくだろう4月が始まる。
大きなうねりで社会の全体がひっくりかえっていく。

わかりやすいところでは、
不動産がアホみたいに下落するはず。
団塊の世代が人生をかけて手に入れた郊外のマイホーム。
しかし、老人の群れの住む、活気のない、不便な住宅は価値がない。
夫婦共働きを強いられている現役世代からすれば、
本当に意味のない物件である。
賃貸マンションでいいから、互いの職場に近いところがいいにきまっている。
なんで一戸建てにこだわったのだろう。
団塊の世代の嫌いな、封建社会のなごりだったのだが、
皮肉なものだ。

マンションだって、何千万というのは意味がない。
だれがそんな値付けをはじめたのだろう?
良くて30年すめば、価値が無くなり。建て替え費用が必要になる。
隣近所がうるさくても。環境が悪くなっても引っ越せない。
そんなしばりがあるのに、買う必要なんてあるわけがない。
新築の賃貸に住めばいい。
マンションなんてのは合理的に作られたもので、
所有なんてのは幻で、
言ってみれば、30年間の占有権があるだけだ。
少子化で住宅や土地はどんどんだぶつく見込みの中、
ホントにわずかな土地の所有権。
30年後には0である。

貧しくなれば、みんな合理的になっていく。
土地神話を介した資本主義は完全に破綻する。
土地を介して回っていた我が国の信用経済も、
バブル前に戻りかけたところで完全崩壊になるだろう。

東京圏には1000万人住んでいるが、
ほとんどみんな、まともな生業を持たない人々である。
信用経済が崩壊すれば、本当に無になる都市だ。
最後まで日本全体から、あるいは世界中から金を集め続けるだろう。
そして、閾値を超えた瞬間、マヤ文明のように消えてしまうだろう。
[PR]
# by lebendig | 2009-03-23 22:02

パクス・アメリカーナの終焉

アメリカ支配の時代が終焉といわれている。
ビッグ3がほとんど半分の車しか売れなくなっている。
逆に言うと、今まで倍以上のお金を浪費してきたのである。
ほとんど円天である。
円天ならぬ、アメ天がつぶれたのである。

金融工学とかネット、あるいはソフトウェアとか、
つぶれかけたアメリカをこの15年くらい無理矢理に支えてきた新産業であるが、
破綻を先送りしてきただけなのだろうか。
そのややこしい仕組みは、一見、先進的であった。
そして、それを操る輩は、アホみたいな桁違いの収入を得ていた。

これから、この15年くらいで発達したものがどんどん凋落していくだろう。
ロサンゼルス・オリンピック以来巨大な産業と化したスポーツも然り。
とんでもない放映権料、桁違いの年俸など、昔の話になるだろう。
日本のプロ野球もそうなる。
テレビ局も金が無くなり、放映権料は僅少になる。かならず。
20年前のレベルの年俸になる。
マイナースポーツは、高校レベルまで後退。
企業も大学も金がないからだ。

大学にスポーツ関係学部が増加しているが、福祉学部と同じく、
あっという間に人気が無くなるだろう。
体育教員は数が限られるし、
インストラクターもジムがつぶれていくので、ポストが無くなる。
目先のことで、10年20年先まで関わることを決めてしまうのは愚かなのだ。

スポーツとはアメリカ文化だったのだということが良くわかる。
古代ギリシアとはだいぶ違う精神なのだ。
[PR]
# by lebendig | 2009-02-05 19:58

4月以降、大きく変わる

いま、社会は来るべき変化に対して不安のうちにある。
何が起こるかわからないからだ。
しかし、実際に変化が起こり始めると、
人間は適応を始める。

新年度への突入に伴い、
大きな変化が起こってしまう。
社会のほとんどへと波及する変化が起こり始める。
生活、人生についての考え方さえ変わるかもしれない。

学校へ行く意義は何か?
ほとんど全ての専門教育が就職へとつながらなくなる。
しかし、義務教育終えて即就職が有利であろうはずがない。
高卒で就職では、生涯低賃金確定になってしまう、、、
大学で何を学ぼうと、
思考力とコミュニケーション能力など、
基礎的能力を伸ばした者のみ、明日につながる。
このことが認識されることになるだろう。
もちろん人格も。
そういう基礎的な力は、どんな状況でも、
いや、悪い条件の時ほど頼りになるからだ。
だったら、しかし、私塾のような組織でもいい。
本当に基本的な人間の教育が漸く注目されるようになるだろう。

その反面、
単なる努力だけでは、
変化には無力であることが、
証明されることになる。
それは、人間の心に大きな傷を残すことになるだろう。
[PR]
# by lebendig | 2009-01-06 02:58

日々是れ新たなり、年々是れ新たなり

年が明けた。
いかなる年であろうか?

大晦日、職を失った人々が商業ビルの椅子にうずくまる姿を見た。
こんな身近にも、と誰もが思ったはずだ。
炊き出しが日比谷公園で行われた、というニュース映像が流れる。
炊き出し自体は毎年恒例のニュースである。
一昨年まで、家がないにはそれだけの理由がある、
自業自得であると我々は納得し、安心してきた。
だが、昨年末には、不正義と不条理としか見ることが出来なくなっていた。

大企業については?というコメントをいただいた。
たしかに、この状況を理解するのに重要だ。

昨年半ばまでは「大企業」という言葉が、単に大きな企業という以上の、
何か物々しく、後ろ暗く、生々しい現代社会の現実を意味していた。
以前言及した、瀬島龍三を初め、ロッキード事件で問題となった児玉誉士夫、小佐野賢二など、裏でフィクサーやらなにやら、戦中戦後のどさくさから生まれた、とにかくややこしいいろいろがある、というのが半ば常識であった。
三菱を初め、明治維新後、政治的な力で巨大な組織を形成し、財閥解体を経てもなお同じシステムを維持してきた旧財閥あるいは企業グループの都市伝説もそうだ。
バブル崩壊で、都市銀行の合併や企業自体の合併などで、企業グループなるものも、数ヶ月ごとに大きく変わってしまうように希薄になり、そして、力を失いつつある。
解禁された持ち株会社も焼け石に水か?

これまでは、
「富を生みだし、国民に貢献しているではないか、
世界に誇るべきは大企業である、
金儲け悪いことですか?」
という、居直りがあって、しかもほとんど社会に承認されてきた。

その正社員は、現時点ではまだその仕事に見合わない給与を得ている。
200万以下の年収の労働者と1000万を超える年収のサラリーマンと、
5倍もの違いは何か。
仕事の量では明らかにない。
能力か?
富を生み出すことにどれだけ貢献し得るかという能力であろうか?
では、生み出さなくなったら、0になり、マイナスになるのか?
いや、ならない。
しかし、0やマイナスにならないでも大企業が成立しているのは、
その歪みが、不条理にも、立場が弱い人間に向けられているからである。
それは、下請け、取引業者、契約、期間、非正規の従業員。
もちろん、情報を持たず、広告によってコントロールされる消費者も。

しかし、そんなややこしい、怪しい仕組みは、
飯が食えているうちには、そんなものだろ、と思ってはいたが、
やはり、今となっては、、、、

過去完了が多い。

ずいぶん変わったが、びっくりするくらい、また状況が変わるだろう。
いろいろ見えてくるかもしれない。

しかし、いまはそれも昔ばなしかもしれない。
賞与の削減ではどうにもならない。
かといって、再就職先など容易に見つからない。
企業内でワークシェアリングをすすめ、
給与体系に手をつける、という事にならざるを得ない。
してみれば、少しずつ「大企業」は大きいという以上の意味を失っていくだろう。
大企業幻想が吹き飛び、
実際に大企業が飛んでいく。
そんな時代に
[PR]
# by lebendig | 2009-01-01 01:21

曲学阿世、あるいは虚学阿世

竹中平蔵、世に阿った(おもねった)学者と非難され放題である。
確かいひどい。
人間が生きることの意味を考えることこそ学問、と考えれば、
まさしく、学者とは言えない。
口先だけの人間。

学問を曲げ、世に阿り(権力者に取り入り)、
おそらく後世に悪名のみ残す男だろう。
いや、そもそも、学問なんてありはしないのではないか、、、、


ところで、こうして失業者が猛烈に増え、
屋根のないところで寒さに震える人間が激増してみると、
初めて、社会にとって何が必要であったかがわかる。
それは、安心、安全、セキュリティーだ。
社会が偶然の不幸や最低の生活条件を完全に保障しているならば、
「チャレンジ」も大いに結構。
確かに、活力が生まれることもある。

しかし、何の落ち度のない人間が乞食に、
というような危険は絶対に誰も望まない。
こんな危険性があると、社会は一気に身を固めてしまう。

戦後、孤児が餓死したり、乞食をしたり、犯罪者になったりした。
そして、さらに社会が彼らを排除した。
とんでもないことが戦後続いてきた。
高度経済成長期、このセキュリティーの重大問題が見えなくなった。
しかし、問題が無くなったのではなかった。

高度経済成長のかさ上げ部分や、
世界市場における日本の相対的な技術的優位が無意味になれば、
一気にこの社会の問題が、セキュリティーの欠如が顕在化する。

竹中という馬鹿男は、この問題を一気に拡大させた。
家を失う状況に追い込まれる義務は、日本国民にはない。
国民の勤労の義務の一方に、国には職や生活を保障する義務があるはずだ。
落ち度のない人生から希望を奪い、回復しがたい状況に置いた人間に、
国は報いを与えねばならない。

人生は一度。
若い時期に回復することの出来ない状況に追い込まれれば、
それはその仕組みを作った人間の責任に決まっている。

若者に人生を保障するのが大人の役割であり、社会や国の役割のはずである。

今は怒りが方向を持たないが、
いったん状況が認識されたならば、破滅的な状況にさえなり得る。
相当危険な状況だ。


[PR]
# by lebendig | 2008-12-25 14:04

学会シーズン

またそういう季節がきた。
ポスト激減で、若者がいない。
団塊がお得意のチマチマした議論で閉鎖的に盛り上がる。
また始まるのだろうか。

著名な学者も、期待させる学説も、何にも無し。
少なくとも、無意味学会停止したほうがいい。

哲学の無を実感しなければならない。
[PR]
# by lebendig | 2008-10-04 18:26

学問市場

需要と供給によって価値が確定する。
金本位制に別れを告げた市場経済は、モノの価値を欲望に定位させた。
もちろん、金は絶対的な価値ではないが、宗教や文化の中でそういう幻想を作り出していた。
そして、定位させた欲望は気まぐれに変動するものである。
価値は、気まぐれな軽薄なものになってしまった。

そして今、学問が市場の手にゆだねられた。
気まぐれで軽薄なものとなったのである。

真剣に深刻に、遠くを見据えて、
それが学問ではなかったか?
軽薄に気まぐれに、目先のことに注目。
[PR]
# by lebendig | 2008-07-29 08:37

無いものは足りなくなる

小麦やトウモロコシなど食糧が高騰している。
半年前からわかっていたことだ。
ところが、投機的資金の流入によって高騰した、という、もっともらしいことを経済の「専門家」がそこら中で言って回っている。
すると、あたかも食糧問題はなきがごとし。
なんか、ほっとしたり、その後で先物とかやってる奴らがにくくなったりする。

だが、やはり食糧は足りないのだ。
だから、食糧が買われる。
金が続かなくなったら暴落する?
いや、金があるうちに、本当の食糧難が到来する。

油も然り。
金が続かなくなる前に、それに原油の枯渇が到来すると踏んでいる奴らが買いまくっている。
これで、いつか暴落なんかしたら、本当に大変なババヌキになるところだが。

目の前に恐ろしい状況が迫っていても、人間とは馬鹿な動物。
事実を偽り安心しようとしている。
[PR]
# by lebendig | 2008-07-02 01:16

次世代の育成

パンダのリンリンが死んでしまった。
そして、上野動物園のパンダ舎が空になった。
子供が生まれなかったので、絶えてしまったのである。

人間も同じ運命にある。
世代をこえて社会を維持し続けることは、人類の絶対条件である。
そして、社会を維持する次世代がいなくてはならないのは当然である。
しかし、現在、我々は自分だけ、あるいは同時代人だけを重視し、次世代を無視している。

人間の場合、ただ人間が生まれ続ければいいのではない。
ギリギリまで膨張し、高度な組織化によって支えられている社会を支えられなければならない。
教育が十分に為されていなければならない。

こう考えると、教育には二つの意味がある。
それは教育を与えられる者に、生きていく力を与えること。
そして、さらに次の世代へ教育する力を与えること。
この二つは絶対的な条件である。
子供が勝手に学ぶだけでは、文化は維持できない。
これはいかなる社会・文化を見ても明らかなことである。
[PR]
# by lebendig | 2008-05-01 11:29

もう5月!?

なんも書かないうちに日が経ってしまった、、、、

そろそろ、始めます。


空白の3月だ。



そんなこんなしているうちに、本当に小麦が足りなくなって暴動が始まっている。
[PR]
# by lebendig | 2008-04-22 19:50

学者再生産の不能

経済や政治や偶然で出来上がった今日の「専門」諸領域で学ばれる特殊な知識や情報は、今そこでだけ通用する。
これを学んだ学生がいい歳になったときには、その知識情報は無意味になっている。
もちろん、そんなものを彼が更に教えたりすれば、無意味もいいところである。
本来必要なのは、いかなる状況においても通用する力である。

そのときだけ、その場だけの特殊な情報と、
干からびてしまった、古典ともいえる概論の教科書。
これで学者を再生産するということなど不可能である。

(未)
[PR]
# by lebendig | 2008-02-16 12:10

学問の完全消滅

もはや秒読み段階である。
なぜか?
今日の細分化し蛸壺化した専門諸領域の研究者は、その内部から外に出るだけの基礎的な能力を欠いている。なぜなら、そのように学問を細分化させるに至った経緯がわかっていないからであり、彼らにとって細分化した専門領域がそのまま所与のものと捉えられているからである。それらは「今だけ」成立している研究領域である。それらは、現在の社会や産業の在り様に呼応する形で成り立っているだけである。
したがって、研究者の群れは、細分化し、孤立化した専門書領域で死を待つだけである。
磯の潮だまりに取り残された小魚である。
あとは干上がるだけだ。

専門を細分化し、客観的な手続きを分業体制の大量生産で推し進めてきた今日の「学問」は、研究者を歯車とし、知的単純労働者のみを生産してきた。
ただ、彼らには自尊心をくすぐる「学者」とか「研究者」という肩書きを与えた。
だが、彼らはそんなたいそうな者ではなく、単純労働者であり、実は非熟練労働者であって、やっているのはマクドナルドと同じ、マニュアルに基づいた誰でも出来る仕事だったのだ。
ただ、このマニュアルがわかりにくいため、マニュアルを読みこなすという「優れた」能力が求められてはいたが、、、

知そのものを問い、一体全体自分たちが何をしているのか自覚する学者こそ学問をしていると言い得る。
無意識に「学問」をさせられているのは、学者ではない。
つまり、学者のほとんどは学者ではない。
ファストフードのアルバイトと同じなのである。

その証拠に、ではないが、季節雇用の工場労働者のように、任期付きの契約で全国をさまよう若い研究者が多く生まれている。
むしろ、工場労働の方が雇用関係はしっかりしている。
ODで自殺者というのは大変な数になるらしい。
知的な職業に就いたと思ったら、雇用の極めて劣悪で不安定な、単純労働者である。
それは絶望するだろう。

しかし、本当の意味での学者なら、大学や研究機関に所属せずとも学者である。
いつでもどこでも、飢えない限り学問は出来る。
だが、学者でなければ、大学に所属しようが学士院会員となろうが、学問は出来ない。
いわゆる「業績」はつくるだろうが、そんなもの、あと数十年すればくそである。
初等中等高等教育の体制、制度、そして中身がドロドロ溶け始めている。
そして、これを支えるべき学者がほとんどいない。
万事が窮し、至る所で兆候が現れている。
そして、その核心部分にあって、学問の理念を担う哲学は沈黙、あるいは不在となっている。

大黒柱が倒れたが、まだ上っ面の壁やら窓やらトタンやらで家の形は保っている。
しかし、その壁やらが腐ってきて、至る所に穴が開いている。
ただ、所々細々と突出して飾り立てられている部分があって、なんか活き活きしている様に見える。
そこだけ見ていると、学問の家とは趣味の家であるかのようだ。
楽しそうな、趣味のオタク人生、それが学者?
こんな「学問」や「学者」で、滅びないわけがない。

オタクがニートや引きこもりとなり、社会生活を営まず、無論、結婚もしなければ子育てもしない、したがって、オタクの家はそれきりで絶える。
同じく、オタク学者も趣味に没頭し、子育てはしないし、できない。
してみれば、オタク学者の家(学問)も滅ぶ。
ゆえに、今日の学問は滅ぶ。
後継者がいなければ、絶対無くなるのは当たり前。

さらば「学問」。
もう必要が無くなったのだから、そんなに引き留めてはいけないだろう。
むしろ、新しい学問をつくらなければならない。
新しい家に、新しい人間が、新しい社会を作るため、古い家は朽ち果てなければならない。
そう考えれば、学問、教育の崩壊は兆しである。
[PR]
# by lebendig | 2008-02-05 00:18

ついに世界同時株下落。いよいよ、か?

原油高騰、食糧不足、サブプライムローン問題。
どう考えても、おかしくなることは見えていた。
それにしても、弱り目に祟り目とはこのことで、ごまかしは効きそうにもない。

信用のドミノ倒しで、世界を一回りしてしまった。
これまでは、中国やら中東やらインドやら、なんかそういうよくわからないところにまだ信用の源泉があった。
世界の一部でおかしくなっても、調子のいい地域がそれを打ち消してくれる。
中国経済は伸び盛りで、オリンピックへ向けてさらなる発展が、、
とかいう幻想が、根拠なく世界の信用をふくらまし、貸した金が増えて帰ってくるという幻想を維持していた。

しかし、食糧とか油とか、こういうものが世界的に足りなくなると致命的である
アメリカで足りなければ、中国でもアフリカでも足りない。
当たり前だ。これがグローバル経済。

日本は金融政策で対応するとか言うが、ここは潔く次善の策を考えるべきだ。
世界経済がそう簡単に信用をまたふくらますことができるとは思えない。
その前提で、実体経済への影響を防ぐべきだろう。

思えば2年前か、アメリカのリアルエステートが絶好調とか言っていたのは、明らかにバブルだった。
日本のバブルと違う、とか馬鹿な奴らがアメリカで盛り上がっていたのだ。
もしかしたら、意図的?
だとしたら、だれが寸前に逃げ出したかが問題だ。
アメリカの名だたる金融機関が偉い損失を出しているのを見ると、どうもいわゆる国際金融資本の陰謀というのも当たっていないような、、、、


ただ、食糧と油が枯渇するときに、潤滑油である信用が崩壊するというのは何かある。
経済の崩壊状態の中、飢餓に瀕した貧しい国々が捨て置かれるかもしれない。
経済がおかしくなって、救いの手をさしのべることもできない、とかいって。
今年、いったい何万人が死ぬのだろう。
最近は毎日5万人餓死している。
これが十倍くらいになるかもしれない。
すると。1千万人くらい死ぬのか?
いや、億単位で死ぬかもしれない。
すると、人口は減少し始め、資源と人口、食糧生産のバランスは回復し始めるのである、、、、、
[PR]
# by lebendig | 2008-01-22 21:18

2008年、高等教育崩壊の年

今年、日本の高等教育が崩壊する。
大学の関係者はこのことに気付いている者が多いはずである。
しかし、あまり騒がれていない。
もはや、折り込みずみということか?
いや、想像以上の崩壊が始まる。

もう既に2年前のゆとり世代入学で変な雰囲気になってきた。
やる気がない、規範意識がない、人間的魅力がない、あるものってなんだ?
二年目の輩は、大学間の学生の奪い合いで、何もしなくてもなんだかんだ言って大学生になってしまった。
自尊心はない。

そして、今年、国立であろうと難関大であろうと、何にもしないで入れるようになった。
というか、奪い合いである。
昨年の売り手市場を見ているものだから、最初から勉強しない。
ふつうに高校へ行って、ふつうの成績を取っていれば、どこにでも入れるのである。
だから、3年生でも勉強しない。
それまで勉強録にしてなかったくせに、更に勉強しないのである。
馬鹿がアホになったのである。
いや、アホが馬鹿になったのである。

一方、一般の試験を受験して入学する者がいる。
年内のフリーパス入試で定員ぎりぎりまで詰め込んで(文科省的には定員の二分の一までだが、、、)、一般入試は難関にして、偏差値上昇をはかる。
これが今年の大学の戦略だ。

つまり、これから試験を受けるマジメな方の受験生は、アホだらけの大学に、ずいぶんいい成績を取らなければ入れない。
無茶苦茶な格差である。
アホ8割にマジメ2割。
こんな感じか?
授業が成立しなくなり、まともな学生は不公平、いや不当に思うだろう。
ただし、今時のマジメな学生は昔の不真面目な学生レベルである。

やる気なく、自尊心もないアホであふれかえる全国の高等教育機関は、とりあえず、破産しないことだけを追求してきたが、すぐに青ざめるだろう。
もはや、高等教育を施すことの出来る人材は再生産不能である。
オタクみたいな腐れ研究がはびこり、馬鹿な当局がふざけた研究に国費を垂れ流し、市場原理を導入すれば、教育が良くなるとでも思ったのか。
馬鹿がリスクも把握できないで思いつきで未来を台無しにした。

まぁ、そんな馬鹿な文部官僚やワンフレーズ政治家も戦後教育の「成果」だから、こんな現状は60年前から約束されていたのだろう。
本当の「私塾」なるものが必要になるかもしれない。
[PR]
# by lebendig | 2008-01-21 01:33

「宣告から確定」の年

2008年になった。
1998年からはや10年。
あのころは「世紀末」という雰囲気であった。
だが本当の「終わり」は、ああいう頽廃的なものではない。
「終わり」が納得できるような雰囲気だろう。

原油価格の上昇がとまらない。
これは単なる相場の問題ではない。
もちろん投機的な資金の動きがある。
しかし、決定的なのは石油の埋蔵の限界が見えたことにある。
予定より11年も早く石油は尽きてしまう。
そして現在増産に限界が訪れている。
この二つは我々が歴史のどのような状況の中にいるのかを知らせてくれる。
石油はこれから確実に無くなっていく。
そしてどんどん高騰する。

石油で食糧を生産し、運搬し、製品化する。
それができなくなる。
いや、貧しい国から出来なくなる。
それが見えてきた。
温暖化より早く資源の枯渇が訪れた。
次に来るのは水不足である。
油と水がなくなるとき、終わりが始まる。
今年かもしれない。
[PR]
# by lebendig | 2008-01-06 00:04

食糧危機で「信用」が危うい

世界中にあるお金というのは、
現実にあるモノの価値の何倍である。
お金を増やして返すことを約束する者がいる。
すると、必ず返されるお金、という架空のお金が実在するようになる。
必ず返される信頼度で、そのお金の存在の確率が変動する。
信頼度が低いと確率が低く、全体として目減りすることになる。
可能性がゼロだと、ゼロになる。

モノの価値も相場に依存する面もあるが、
モノは無くなりはしない。
だが、この「信用」は無くなる。
フィクションである。
みんなが信じなければ、無くなってしまう、危ないものだ。
しかも、みんなが金を増やして返す、といって金を借りるところが危ない。
みんなが金を増やせる社会なんて存在するのだろうか?
この社会の外部に搾取される人間か何かが存在しないと、無理である。
世界が一つになり、市場が一つになったとき、実はお金が増えなくなる。
モノではなく権利や文化にお金が使われれば、まだ増える。

漫画のアニメ化の権利、アニメの実写化の権利、小説のドラマ化の権利、
あるいは、スポーツイベントの放映権などなど、
つまり、ソフトウェアである。
これらは世界中のそういったモノを合算すると相当な額になるだろう。
映画化すれば絶対ヒットすること間違いない小説がある。
そうすれば、そこには既に莫大なお金が創造されたことになる。
絶対ヒットするから、金融機関は何十億でも貸す。
確実な金が何十億と生まれたのである。

よく考えれば、アニメ以外、映画、ソフトウェア、放映権、全部アメリカが支配している。
うまく考えたものである。
オリンピック、ワールドカップの気の遠くなるほどの放映権料は、
そんな昔に始まったものではない。


だが、食料が足りなくなるとき、全部はじける。
生きるのに絶対必要な小麦と、ドラゴンボールの実写映画化の権利は、
果たして同等のものか。
食糧危機が訪れるとき、すべての信用の幻想が吹き飛ぶ。
架空のお金が無くなる。
絶対にそれは困る人々がいる。
彼らは世界を飢えた世界と、豊かで信用の幻想が維持される世界に分断するだろう。

食糧問題が厳しければ厳しいほど、信用が維持される世界は限定されていく。
おそらく、人類最後の瞬間まで、信用を維持するために奔走する人々が存在するだろう。
彼らは、飢えた人々とそうでない人々の間に明確な線を引こうとするはずである。
最も明確な線、それは生きているか死んでいるのか、である、、、、
[PR]
# by lebendig | 2007-12-10 12:09

下流、困窮、逃散、、、サンカの幻

下流社会なるものが形成されつつあるという。
年収200万円の世帯層が形成され、しかもこれが固定化されつつある。
いったんそこに陥ると、そこから脱出するのは難しく、また、教育や就職の機会も限定され、
世代を超えて相続されていくのである。

これは現実であろうか。
バブル経済全盛の頃、一夜にしてとんでもない富を手にしたものがあった。
IT産業の興隆により、これまたオーバーナイトサクセスもよく見られた。
もちろん、バブル崩壊があり、殿上人と見られた人々が零落していく様も多く見られた。
長い目で見れば、ここ20年でずいぶん大きく社会は変動してきたし、上と下がひっくり返るようなことが起こってきた。

それでも下流社会が形成され固定化されるというのだろうか。

確かに、上の一部と下の一部が入れ替わったり、新富裕層と呼ばれるものも現れた。
だが、大多数の人々は徐々に落ち込んでいき、それが閾値を超えた瞬間に貧困が出現した。かつての社会にあった階層のようなものではなく、単なる貧富であり、無力な困窮する人々が出現した。

昨今、この貧しさの中でちょっとしたきっかけで転落し、
自殺、殺人、犯罪を起こしてしまう人々が少なくない。
下流社会は助け合いや分かち合いなどなく、ただ、貧しいだけ。
ちょっと病気でもすれば、生きるすべさえ失う社会である。

希望無く、可能性無く、職能もない。
たくわえもなく、コネもなく、健康も、信用も、何もない。
これらは全部つながっている。
貧しければ、コネはなく、信用もないので可能性や希望はなく、
学歴もなく、職能もなく、単純労働、アルバイトの連なる職歴だけ所持する。
こんな人間では、どうしようもない。

天保の飢饉の際、生きるすべを失った人々は打ち毀しをした。
だが、ほとんどの飢える民は死に、
多少体力のあるものは農地を捨て逃げ出した。
そして放浪の民となり、その一部がサンカになったともいわれている。

現代の窮民はこのさき逃げ出すかもしれない。
実際に、大都会の公園という公園には家を捨てた人々が、
掘っ立て小屋を作って住んでいる。
また、多摩川沿いにはずらっと青いシートの家が連なる。
これはまさに現代の瀬降り(せぶり)である。

だが、シートの彼らは孤独である。
サンカが社会を営み、確かに生きていたのと比べ、
いくらたくさんの人間がいても孤独であり、社会と断絶している。


つまり、下流民は存在してもそこに社会は無い。
彼らは社会を形成できずに、個々別々に滅んでいくだけである。
そのとき、上流にも異変が起こるだろう。
[PR]
# by lebendig | 2007-11-28 19:28

アスペルガー症候群の学生

最近、目立ってアスペルガー症候群の特徴的なコミュニケーション障害を示す学生が多い。
アスペルガー症候群が増えたのか、あるいは、そもそも今日の学生の全般がコミュニケーションの能力が低く、そのなかでアスペルガー症候群の学生が外見上の矯正の機会を逸してしまったものか。
アスペルガーとは自閉症にカテゴライズされる症例で、軽度のもの、あるいは知的能力には問題が無いものを言う。
ごく最近の学生をみていると、はっきり言って厳密にみていくと2割くらいのものにその特徴が認められる。

自分自身が幼稚園から高校まで接してきた同級生には、能力が低い、あるいはアパシーというようなものはあった。
しかし、コミュニケーションの可能性自体が無いものはほとんどいなかったと思われる。

自閉症に関しては、近所の同級生にいわゆる自閉症のものがあって、なんとか普通の学校に通わせたいという親御さんの考えで、一緒に通っていた。
というより、私が1年間送り迎えした。
遊び盛りの小学3年生にとっては、これはかなりきつかった。
なにしろ、彼が言葉を発したのを聞いたのは、4月最初の日の自分の名前だけ。
送り迎えは、ただただ私が彼のランドセルを押しつづけたのである。

こどもであるから、遠慮なく彼の顔を覗き込んだりした。
だが、彼の目には何のニュアンスも無いのである。
何か、その眼の奥の隠れたところに彼が居るのではないか、とも思えた。
送り迎えは、実質ひとりぼっちで、責任もあるし、重たいし、大変だった。
ただ、こどもだけに、こんなもんだろう、と思っていた。
はっきり言って、だいぶ重症の自閉症である。
結局翌年から養護学校に通うことになった。
いまでも、彼が自分でトイレに行ったことがあったかどうか気になることがある。

いわゆる知恵おくれの子も隣に昔住んでいて、しかし、ずいぶん一緒に遊んだものだ。
コミュニケーションとか共感の能力に欠けたところは無かった。
じっとしていられないので、勉強が全然駄目だったが、


そんな自分の経験に照らして、最近のいわゆるアスペルガー症候群の学生は異質である。
果たしてこれは、大脳の異常による自閉症ではなく、社会や文化の環境が作り出したものではないかとさえ思う。
町でも、目つきが尋常ではない高校生など見かけることも多い。
オタクと呼ばれる人々にも、それが見かけられる。
シャイだとか引っ込み思案だとか、そんなのでは全くない。
彼らの脳から「社会」「他者」と、その視線というものが欠落しているのである。

病気ならば、それは医学の領分だが、はっきり言って異常に増えているのは環境に要因があるのではないか。
社会性を育てる教育や環境が欠けると、「人間」は育たない。
カスパーハウザーを思い出した。

残忍で異常な犯罪に、いわゆるサイコパスと言う大脳の先天異常が関係しているとか、いや、それは差別であるとか、いろんな議論がある。
そしてその異常は胎児の時分の母体の状態に影響を受けるという。
最近、統合失調症の遺伝子が見つかったらしい。
遺伝、発達時のホルモン異常、環境による刺激の異常など、人間が「人間」となるためには、いかにハードルの多いことか。
20年前、妊娠中の女性に何らかのストレスがかかっていたのか、あるいは食品に強烈な化学物質でも含まれていたのだろうか。

学級崩壊、ゆとり教育、地域社会の崩壊、団塊の世代による教育、、、
これらも関与しているはずだ。
しかし、知らんぷりして彼らを社会に送り出していいのか。
平等だとか自由だとかいって追い出していいのか?

彼らがどのような人生を送るのか、
いや、もしかしたら、彼らが「他者」に気づくこともあるのではないのか?
「?」が多い。
誰か真剣に考えておかなければならないのでは、、、、
[PR]
# by lebendig | 2007-11-23 19:42

ゆとり差別

ゆとり差別というのがあるらしい。
「ゆとり」というのはゆとり世代。
1987年以降に生まれた世代である。
今2007年だから、今二十歳。
大学二年生からである。

一つの世代すべてひっくるめてどうだ、というのは、
確かに問題がある。
その世代にだって、いろいろな人があるから、
十把一絡げはできない。

が、しかし、傾向はある。
何にだって傾向はあるのだ。
で、その傾向というのはいい傾向ではない。
昔なら、学歴のない人間だって当然わきまえていたものが欠けている。
教育している人間なら、まぁ、ほとんどの人間がわかっているはずだ。
知らない顔する奴は、無責任である。
「彼らはすばらしい!」
とか言って、教育を放棄するのか!?
これは、我々が大学という最後のチャンスに、何とかしてあげないといけないのだ。

欠けているもの、それはまず自尊心だ。
自尊心がないからすぐ投げる。
難しいことはしない。
出来ないことを出来るようになろうとしない。
かれらはずーっと、出来ることだけやらされてきたのだ。
恐るべき教育の実験がなされてきた。
結果、世代全体としてこんな事になってしまった。

なぜ自尊心がないのか。
ゆとり教育が始まったときから、
こんなに覚えることが少なくていいのか?、と言われてきた。
彼らだって知っている。
昔はもっと難しかった学校が、
簡単になった。
なぜなら、自分たちには無理だと大人が考えたからだ。
そうか、俺たちには無理なんだ。
無理なことはやらなくていい。だって、できないんだから。

しかし、二年後、彼らが社会に出るとき(食糧問題で無茶苦茶になっているかもしれないが)、
社会がそれに対応するとは思えない。
彼らの一つ上の世代で採用を十分して、
一転、就職難になるかもしれない。
あるいは、就職してから解雇されたり、

どうやっても飯を食っていけないような人間が多い。
知識とかではない。
差別するとかしないとかではなく、
何とかしてやらないといけない。
不愉快で不真面目で不遜な彼らが、
自虐的で、虚無的で、怨嗟と嫉妬の人間になる前に。
[PR]
# by lebendig | 2007-11-18 21:14

飢餓と絶望

我が国に数年の蓄えがあったとして、
それが尽きる数年間、
我々に平安を与えることなどあるのだろうか?

国の外には飢餓が広がるなか、
国内にはじりじりと危機が迫る。
パニックである。

こういう状況で人間は二種類であったことが判明する。
分かち合う人間と、奪い合う人間である。
そして、

本性が暴かれても、
もはや終わりである。
人間に食料が不足したとき、
環境問題が一気に加速するのである。
[PR]
# by lebendig | 2007-10-29 20:00