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学者再生産の不能

経済や政治や偶然で出来上がった今日の「専門」諸領域で学ばれる特殊な知識や情報は、今そこでだけ通用する。
これを学んだ学生がいい歳になったときには、その知識情報は無意味になっている。
もちろん、そんなものを彼が更に教えたりすれば、無意味もいいところである。
本来必要なのは、いかなる状況においても通用する力である。

そのときだけ、その場だけの特殊な情報と、
干からびてしまった、古典ともいえる概論の教科書。
これで学者を再生産するということなど不可能である。

(未)
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by lebendig | 2008-02-16 12:10

学問の完全消滅

もはや秒読み段階である。
なぜか?
今日の細分化し蛸壺化した専門諸領域の研究者は、その内部から外に出るだけの基礎的な能力を欠いている。なぜなら、そのように学問を細分化させるに至った経緯がわかっていないからであり、彼らにとって細分化した専門領域がそのまま所与のものと捉えられているからである。それらは「今だけ」成立している研究領域である。それらは、現在の社会や産業の在り様に呼応する形で成り立っているだけである。
したがって、研究者の群れは、細分化し、孤立化した専門書領域で死を待つだけである。
磯の潮だまりに取り残された小魚である。
あとは干上がるだけだ。

専門を細分化し、客観的な手続きを分業体制の大量生産で推し進めてきた今日の「学問」は、研究者を歯車とし、知的単純労働者のみを生産してきた。
ただ、彼らには自尊心をくすぐる「学者」とか「研究者」という肩書きを与えた。
だが、彼らはそんなたいそうな者ではなく、単純労働者であり、実は非熟練労働者であって、やっているのはマクドナルドと同じ、マニュアルに基づいた誰でも出来る仕事だったのだ。
ただ、このマニュアルがわかりにくいため、マニュアルを読みこなすという「優れた」能力が求められてはいたが、、、

知そのものを問い、一体全体自分たちが何をしているのか自覚する学者こそ学問をしていると言い得る。
無意識に「学問」をさせられているのは、学者ではない。
つまり、学者のほとんどは学者ではない。
ファストフードのアルバイトと同じなのである。

その証拠に、ではないが、季節雇用の工場労働者のように、任期付きの契約で全国をさまよう若い研究者が多く生まれている。
むしろ、工場労働の方が雇用関係はしっかりしている。
ODで自殺者というのは大変な数になるらしい。
知的な職業に就いたと思ったら、雇用の極めて劣悪で不安定な、単純労働者である。
それは絶望するだろう。

しかし、本当の意味での学者なら、大学や研究機関に所属せずとも学者である。
いつでもどこでも、飢えない限り学問は出来る。
だが、学者でなければ、大学に所属しようが学士院会員となろうが、学問は出来ない。
いわゆる「業績」はつくるだろうが、そんなもの、あと数十年すればくそである。
初等中等高等教育の体制、制度、そして中身がドロドロ溶け始めている。
そして、これを支えるべき学者がほとんどいない。
万事が窮し、至る所で兆候が現れている。
そして、その核心部分にあって、学問の理念を担う哲学は沈黙、あるいは不在となっている。

大黒柱が倒れたが、まだ上っ面の壁やら窓やらトタンやらで家の形は保っている。
しかし、その壁やらが腐ってきて、至る所に穴が開いている。
ただ、所々細々と突出して飾り立てられている部分があって、なんか活き活きしている様に見える。
そこだけ見ていると、学問の家とは趣味の家であるかのようだ。
楽しそうな、趣味のオタク人生、それが学者?
こんな「学問」や「学者」で、滅びないわけがない。

オタクがニートや引きこもりとなり、社会生活を営まず、無論、結婚もしなければ子育てもしない、したがって、オタクの家はそれきりで絶える。
同じく、オタク学者も趣味に没頭し、子育てはしないし、できない。
してみれば、オタク学者の家(学問)も滅ぶ。
ゆえに、今日の学問は滅ぶ。
後継者がいなければ、絶対無くなるのは当たり前。

さらば「学問」。
もう必要が無くなったのだから、そんなに引き留めてはいけないだろう。
むしろ、新しい学問をつくらなければならない。
新しい家に、新しい人間が、新しい社会を作るため、古い家は朽ち果てなければならない。
そう考えれば、学問、教育の崩壊は兆しである。
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by lebendig | 2008-02-05 00:18