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飢餓と絶望

我が国に数年の蓄えがあったとして、
それが尽きる数年間、
我々に平安を与えることなどあるのだろうか?

国の外には飢餓が広がるなか、
国内にはじりじりと危機が迫る。
パニックである。

こういう状況で人間は二種類であったことが判明する。
分かち合う人間と、奪い合う人間である。
そして、

本性が暴かれても、
もはや終わりである。
人間に食料が不足したとき、
環境問題が一気に加速するのである。
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by lebendig | 2007-10-29 20:00

来年、飢餓がおとずれる?

気候問題による小麦の不作が来年にまで続くという。
明らかに小麦の値段は上がり続ける。
そのとき、貧しい国はどうするのだろう?

現在でも何億という人々が飢餓に直面している。
飢えて死んでいる。
飢えて死ぬとき、人間は何を経験するのだろう?
むなしさ、無力感、惨めさか?
その心を想像すると、いたたまれないものがある。
そして、生きるために恐るべき行為を決意する人々がいる。
文化や社会によって覆われてきた、生々しい生き物としての性が、
むき出しで、そして最悪の形で現れる。
それが飢餓である。

来年、オーストラリアの不作とともに、アフリカや中国、インド、ロシアにおいて食料生産に、
何らかの支障が出るならば、その影響は先物市場などの緩衝を軽々と超えて、
とんでもない状況を生み出すかもしれない。

まず、世界的な食料生産の見通しが確実に暗いものとなる時期に、
当然ながら、小麦、大豆、トウモロコシ、米などの相場が上昇していく。
なぜなら、食料は代替するものがありえない、命の保証だからだ。
食料が足りなければ、誰でも、可能な限りの金を払うのである。

江戸時代ならば一揆か打ち壊しであるが、
食糧輸入国の敵は遠い国アメリカである。

上昇した価格を払える先進国では、極端な動きは当初はないだろう。
しかし、貧しさ故に国民を飢えて死に至らしめねばならない国はどうなるのか。
もちろん、国内で様々な動きがあるだろう。
だが、世界的な食糧不足故に、解決手段はない。
少ない食料を分け合うか、奪い合うか、どちらかである。
あるいは、食料を欠けた殺しあいや虐殺が起こる。
しかし、いずれにしても絶望的な状況が好転する望みはない。
春か秋の収穫時期の前に飢えと種籾の確保のための恐るべき状況に至る。

種籾まで消費してしまったら、
次の年、全滅してしまう。
国際的な協力も実を結ばないだろう。
なにしろ、全世界で食料が枯渇するのである。

そのとき、飼料やバイオエタノールなどへの穀類の使用が禁じられ、
大量の米国産牛肉が一時的に世界に流通する。
しかし、最後の肉になるかもしれない。
『ソイレント・グリーン』の世界である。

先進国では妙なことに、処分された畜肉がだぶつき、
穀類が高騰することになる。
蓄えを確保するために、予想以上に高騰し、
比較的経済的に豊かな人々にまで影響していく。
日本では食管法が復活し、
闇米や投機は禁止される。
されなければ、暴動が起こる。
もちろん、「たくわえ君」は治安維持のために放出される。

食糧問題が一時的なものでないことが理解されるようになると、
都市人口の移動が始まる。
忘れ去られた過疎の村へ居を移す人も出始める。
カボチャやサツマイモを作付けする人が増え、
多摩川の河川敷のゴルフ練習場や野球場は畑になる。
いかにして、失敗無く穀類をつくるか、
そういう情報が流れるようになる……

しかし、食糧確保のために世界中で無理な耕地の拡大がなされると、
さらに大きな気候変動を招くだろう。
数年のうちに本当に大変な状況になっていくだろう。

貧しい国同士が争いあい、奪い合い、とんでもないことになる。
しかし、先進国はもはや何の援助も支援もできない。
放っておくしかない。
そして、広大な土地がひからびた屍をのせた土漠と化していく。
先進国は様々な技術を投入して食料の生産に乗り出す。
だが、気候変動まで止めることはできない。
数年後に、本当に備蓄を失い、食糧の確保に国家が責任を持てない北朝鮮状態になる。
(そのとき、北朝鮮だけは今と変わらないのであった。)

中国、インドという10億を超える人口を有する国ではどうなるか。
億単位の飢えである。
そして、植えた地域から人々が移動し始める。
異動先で食料を奪い、殺し合いをはじめる。
そしてさらに飢えが広がり、移動も大規模になる。
人民解放軍は、そのとき、恐ろしい決断をすることになる。
国内すべてが騒乱状態となることを避けるため、
決断がなされる。
黄河流域の農民たちは、どうなるのだろう?

人民解放軍の恐るべきコントロールが功を奏せば、
我が国への影響がないが、
人民の海が津波となって沿岸部に押し寄せるなら、
その波はそのまま日本列島に向かうかもしれない。

我々はそのとき、恐ろしい決断をするのだろうか?
だが、我々もまた飢えるだろう。
飢えが更なる環境破壊を招き、
気候変動もいっそうひどくなる。
そこで我々はいきなり自給しなければならなくなる。

その後どうなるのか、また考えてみたい。
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by lebendig | 2007-10-26 17:20

今の哲学に、なんか無いのか?

ホント、なんもない。




何もなくてもいいのか?
百年二百年の研究の反芻でいいのか?

テツガクシャってのは、牛である。
というか、哲学牛である。

いや、反芻は消化の難しい草の消化のための機能。
おなかの中で菌類に発酵分解させているのだ。
優れた能力なのである。

だが、テツガクシャのは、なんか何回もモグモグしているうちに、
消化不良になってきた。
何食っているかもわからなくなってきた。
食うということが何かもわからなくなってきた。

ただただ、涎を垂らしつつ虚空を見つめ、
口だけ動いている。
それ自体に意味があるとかいいながら。
神のためにモグモグしていた時代の方がよかったかもしれない。
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by lebendig | 2007-10-16 11:05

怒るには体力がいる

本当である。
これだけアホのようなことが世の中を蔓延すると、
もう疲れてしまって、どうでもよくなる。

しかし、ここで負けてはいけない。
「ダメなものはダメ!」である。
何でもかんでもダメなのだが、次の二つのことに気をつけて怒りたい。

すなわち、
何に対して今怒らなければならないのか、
つまり、今怒るべき怒りをわきまえることである。
そしてもう一つ、
何が最も根本で世界を腐らせているかを知ること、
つまり、本質に対して怒ること、である。


哲学とか思想に怒ったりしてもダメである。
それは勘違い。
怒るべきは現実であり、人間であり、その本質である。

悪のエーテルのようなものが人類を破滅へ誘っている、とか考えて、
その世界悪の観念に対して怒る、なんてのはオカシイのである。
腐るのは「人間」だけだ。

だが、他者の死や消滅をねがったり望んだりする人間になってはいけない。
その態度は、最も幼稚である。
なぜなら、すべての腐敗は他者に対する共感の欠如、
尊重する謙虚な態度の欠如から来るからである。
アホがアホをアホと言ったり、馬鹿が馬鹿を馬鹿と罵ったり、
人殺しが人殺しを軽蔑したり、
まぁ、そういうことである。
人を呪わば穴二つ、である。

ただ、不遜な人間を軽蔑するのはいいことだと思う。


腐った人間、不遜な人間、これに対して怒る。
怒るべき時に怒るべき仕方で怒る。


怒りのエネルギーを大切にそこへ集中させるのである。
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by lebendig | 2007-10-09 23:01

持続可能な発展=永久機関

十年以上「持続可能な発展」と言い続けてきた。
しかし、どうやらそれは不可能らしい。
そんな都合のいいことはないのは当然か。

カップヌードルが値上げされるのは序の口で、
これから大変なことが起き始めるかもしれない。

小麦粉さえ手に入れられない人々。
それが、何億人にも達するときが来る。


その昔、永久機関という都合のいい装置を作ろうと研究するものがいた。
もしかしたら、今でもいるかもしれない。
それはエネルギーを無尽蔵に取り出せる装置である。
そんなものあったら、環境問題解決である。

永久機関を研究するのはマッドサイエンティストであって、
他にも「エーテル」を探すとか、
ピラミッドパワーを測定するとか、
幽体の実体化、テレパシー、テレキネシス、オーパーツってのがあった。
今ではオカルトに括られている。

しかし、「持続可能な発展」も同じだ。
人々の欲望を増大させ、物質を生産し、
大量廃棄しつつ、環境を維持する。
単純に考えて無理である。

発展という言葉は物質の浪費を意味する。
ということは、発展の継続は物理的にむり。
自然の回復力を上回る浪費は成立し得ないのである。

人口を減らすか、生産を減らすかどちらか。
もしかしたら、欲望を非物質的なものに転換していけばできるかもしれない。
今は、物質が貨幣に換算され、貨幣が信用へ変換され、
ビルゲイツは抽象的としか言いようのない資産を所有している。
だが、その信用がパンクするかもしれないという。

そのときむき出しの物質欲はどのように振る舞うのか。
トイレットペーパー買い占めなんてありました。
米の売り惜しみで打ち壊しが起こったのは昔々。
だが、そういうことになる。

人間が生きる意味、か?
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by lebendig | 2007-10-04 15:38

学会とは何だろう?

学会とは、組織でなく、会員がみんな集まるアレのことである。
人を集めて発表を聴き議論する。
そういうことだが、それだけだろうか?

学会とは本来その学問で問題になっていることを議論する場である。
単なるお勉強の発表会ではない。
しかし、今単なる発表会である。

哲学、倫理学で「今」何が問題か?
それが発表もされなければ論じられない。
百年前に十分議論されていたようなことを、
レベルを下げて発表する、的な学会である。

問題は、誰も「何が今問題か」知らないことである。
何も問題になっていない。
だったら、実は学会はいらない。
考えるべき事、究明すべき事がないなら、学問はいらないからである。

読書会の延長のような発表で、論争なんて起こらない。
起こった気がして、それはいつか論じられたことばかり。


今、問題なのは「問い」の欠如。
哲学や倫理学だけではない。


ただ、我々の目の前には漠然としながらも恐ろしい不安が見えている。
まだ、問いにも言葉にもなっていない。
それが、なにか単純な言葉となって問われたとき、
すべてがひっくり返るかもしれない。
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by lebendig | 2007-10-03 19:47

人類の最期

哲学でなくて、人類が死ぬ。
もちろん、人類が死ねば哲学は死ぬ。
当たり前だ。

哲学なんかのことかまっている間に、
人類のこと考えなければいけない。
もちろん、本当にまともな哲学が生まれれば、
人類が多少救われることにはなるだろう。
しかし、可能性が薄い。

シロクマが絶滅するのはもう常識である。
北極海に新たな航路が開ける。
氷がなくなるからである。

氷がなくなると、太陽光の反射が減じて温暖化を加速する。
気候変動も生ずる。
雨が多量に降る地域、
ほとんど降らなくなってしまう地域。
降雨の総量が変わらなくとも、
突然降らなくなったり、降ったりすると、
農業が崩壊し、食料がなくなる。
農業は長年、安定した気候の条件の下で少しずつ適応してきたからだ。

食糧を求めて何億という人口が移動し始める。
そこで戦争と虐殺が起こる。
日本列島に何億かの人間が移動し始めたとき、
我々も又、虐殺者とならねばならないかもしれない。
恐ろしい未来である。

幸いにして日本は海に囲まれながらも、
急峻な山地を有しており、
海面上昇、気候変動には強いかもしれない。
だが、大陸の気候はどうなるのか?
中国大陸が乾燥し始めている。
シベリアが山火事で森林を失いつつある。
ヨーロッパの氷河がどんどんなくなっている。

このままでは、
「日本以外、沈没or砂漠化」
である。
筒井康隆の本でも読み返してみようか。
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by lebendig | 2007-10-01 17:29