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弱い人間

「発展」する社会、「進化」する技術。
なんか、どんどんすばらしくなっていくような気のする言葉である。
では、人間も一緒にすばらしくなっているのか?
全然すばらしい人間はいなくなった。
うらやましいとか、うまいことやりやがって、とか、そういう人々はいる。
ほりえもんとかである。
「わたしって仕事ばりばりやる能力あるセレブなんです」、と自己申告するかのような人間はいる。
普通の人間はそんなことやっていたら疲れてしまう。
しかし、一種の人格障害、情緒障害に近いものだと思うが、これでもかこれでもか、とアピールする人間たちである。
精力的に自分の嫌らしい上昇志向のために努力する。
そういう人間たちが、現在よくテレビとか雑誌とかに出てくる人間なのである。
彼らが口で道徳臭い説教するととたんにしらけるのは、そういうところからきている。

彼らは違う自己理解がある。幼稚であるが。
有名になったり、いわゆる社会的地位が高くなったり、それが人間の価値であると。
だからそれを”手に入れるため”に、自己愛過多の情緒障害の彼らは異常な努力をしてそれを手に入れるのだ。
しかし、そんな価値なんてないのである。
すばらしい人間なんかに年収とか、悪趣味な道楽とかでなれる訳がない、というか、はっきり言って全て逆である。

自己の利益のために努力することを恥じ、自分は差し置いて他人のためにこっそり努力する、そしてそのために自己の能力を最大限に使い、そして使い果たす。
そういうのがすばらしい人である。いや、であった。
オレがオレが、っていうようなのは本当に恥ずかしい人間、気持ちの悪い人間である。
昔はみんながそれをわかっていて、だからこそ、そういう人間を見つけ出しては、社会的責任のある地位に就いてもらったのだ。
だから、社会的地位の高い人間はすばらしい人だったのだろう。
そして彼らはその権利とか利益でなく、責任、義務を重視していた。

そんな人間がどこにいるのだろうか。
社会の進歩と発展のおかげで、腐った弱い醜い人間でも生きていける社会になった。
そんな社会にふさわしい人間として、我々が生きているのである。
人間が腐った結果がこの社会か、この社会の結果がこの腐れ人間の群れか。

人類社会が気候変動でどうにかなったりしたとき、人間は本当に滅ぶかもしれない。
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by lebendig | 2006-09-08 10:09

進化?

生物である。

人間は進化の頂点に立っていると言う。
万物の霊長であると。

ということは、人間とはもっとも優れた生物であるというわけだ。

しかし、優れている、ってどういうことだろう。
いいことであることは間違いない。
しかし、種に関して「よい」とはいったい何だろう。

もちろん私はそんなの思い込みにすぎないと考えている。
人間が優れているなんて、嘘っぱちである。
いや、宗教、いやいや、幼稚な自己理解、自己誤解である。
おまけに、この世界をつくった神は、人間そっくりだと。
こういう光景、鳥獣戯画でみたことがある。

それはそうと、例えばもっとも進化していない生物の単細胞生物。あるいはウイルスとかその手の顕微鏡で見なければ行けないような奴。
それは、単体で生存する力を持ち、洗練された生き物だ。
それに対して多細胞の生物は、寄り集まって始めて存在できる弱いものの集合である。

もう勝負はあったようなものだ。
社会を作り、都市を造り、道具を作り分業する。
人間とはあまりにも弱い生き物なのだ。
もしかすると、弱くなった生き物かもしれない。

人間は進化できずにほかの戦略で生き延びてきた弱い生物なのだ。

そして、現代文明。
高度に複雑化し、増殖しつづける。
それはひとえに人間が弱く、きたなくなったからなのだ。
これを我々はとんでもなく誤解して、科学の進歩とたたえるのである。
しかし、それぞれの人間単体ではものすごく弱くなってきたことは確かだ。

すばらしい人間はいなくなった。
弱い劣った人間が巨大な社会を作り出した。
それが現代である。
大きな退歩なのである。

くだらない「進歩」を生み出すまでに、人間は弱くなってしまった。
終わりの人間だ。
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by lebendig | 2006-09-06 23:56

食道楽

まずいものを食いたい、体に悪く、不愉快になる食べ物を食べたい、と思う人はいない。
ゲテモノ食いと呼ばれる人もいるが、好奇心から食べているのであって、まずいものが食べたい訳ではない。
何のヘンテツもないみそ汁。
しかし、塩加減が微妙に濃かったり、うすかったり、それだけでまずいものは出来上がる。
塩梅と言う通り、塩加減と酸味は美味い/まずいを決定する。
ちょっとだけ塩加減が微妙に薄いくらいがベストだと思っている。
塩加減ベストだと、食べている途中で嫌になってくるのである。
腕のすごくいい料理人とは、塩加減の料理人なのである。
本当に、ちょっとですばらしくなったり、下品になったりする。
人間の下とは不思議なもんだ。

まぁ、それはそうと、料理人とは幸せな職業だ。
美味いものを作れば、自分はうれしいし、もちろん食べた人はうれしい。
それも、理屈とかそんなもの抜きにして、敵であろうと味方であろうと、うまいと評価する。
絶対的な基準がある。
いや、個人個人の自分だけの味覚の体験が事実としてあるだけで、解釈やらでその事実が消えたりすることはない。
美味い、まずいの否応ない事実が成立する。
屁理屈垂れる暇はないのである。

ほかの職業ではこうはいかない。
特に哲学。
本当にまずそうなものを垂れ流している馬鹿もいるが、これに延々と気持ちの悪い能書きを垂れるのである。
いや、論文や著作のほとんどが能書きである場合も多い。
そしてまた、この根拠なき自画自賛の能書きにだまされたり、ありがたがったりする馬鹿な読者がいて、この両者によって「哲学書」が支えられているのだ。
そんな本、この世に存在しなくとも全く人間社会に影響ないよ、というような紙の無駄が書籍の哲学書コーナーを成立させるのである。

中身で勝負と行きたいが、その実中身を吟味してほしくない人間が多い。
たまに無防備に本音を書いたりすると、それがもうくだらなーい所感であったりする。
そりゃ誰でも評価されるのは怖い。
しかし、正直にしておかないと、いつまでも誤りは訂正されない。

いや、もしかすると彼らは自分たちの出すメシがまずいことを十分承知しているかもしれない。
しかし、まずいのは作った飯ではなく作る人間自身なのだ。
だから、もうこれは能書き足れたりくどくどいってどうにかなるならそうしたいのだ。
本当に自覚し意識しているかどうかは知らない。
意識の下に隠しているのだろうか。
その不誠実さはみにくい。

哲学の世界では、うまい飯を食うことは難しい。
まずい飯が当たり前になっている。
飯とはまずいものだ、こう言う風に誰でも考えるようになっている。

昔、ラーメンはそういうものだった。
いまは、うまいラーメン、まずいラーメンがあり、みなうまいラーメンを求め、その観点から評価している。
しかし、昔は、こんなもんだろう、醤油ラーメンは、みたいな感じだった。
むしろ、ラーメンはこういうもので、うまいラーメン、まずいラーメンと言うラーメン内での格差はないと思っていた。
だから、まずいラーメンを食べてもまずいと思わなかった。

哲学を吟味する舌が必要なのだろう。
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by lebendig | 2006-09-04 16:39

近代の否定の行き先

近代の行き着く先が、今日の人類社会の現実である。
人間がむなしく生き、むなしく死ぬ。
それだけでなく、子孫の未来を奪いつつ、である。
偉大な人間は消え、まさに最後の人間、末人ばかりである。

いや、そんなにくだらない人間ばかりではない。
しかし、偉大な人間なんてものは、本当に一人もいなくなった。
それが深刻な問題なのだ。

どのような人間でも、最終的には本当にくだらない個人的な利益を重視する。
もちろん、哲学者なんてものもその代表である。
昔は違った。
功利主義なんて義理も人情もない、公共事業の屁理屈的根拠になっている。
しかし、ベンサムは貧しい人々、苦しむ人々の悲惨を救わんと構想したのである。
彼に限らず、マルクスであろうとだれであろうと、偉大な思想家は偉大であった。

ただし、その結果は逆になってしまったが、、、、

それでもいいのである。
それだけ自分のことでなく、他人のことを考えていたのだから。
そういう偉大な人間がいること、それをしることがどれだけ重要であったか。

エートスである。
人間を根本で支えるのは、義理人情心意気なのだ、実は。
哲学倫理の屁理屈がどんどん「進歩」して、人間、そして中でも哲学者は最低になった。
キモイ偏執的重箱角的哲学や、自分探してつがく、団塊世代的退職後も生き生き哲学とか、もう小市民的喜び哲学で書店が埋め尽くされている。
まぁ、はっきり言ってさだまさしとかかぐや姫とかのフォークの世界ってキモイとつねづね思ってきたが、そういう哲学が日本ではドロドロ出てきてもうだめである。
日本だけではないが。

そんなことでなく、もっと遠く、高く、深く、ひろく、考えるのが偉大な人間だ。
遠い未来の子孫、遠い国の人々を救うために思索すればいいではないか。
自分の核家族と、ルサンチマン共有友人の閉鎖サークルのなれ合い、傷のなめ合い的幸せのこtばかり考えてキモキモである。

当然全ての人間が偉大になれる訳はない。
しかし、なろうとしないのはどういうことか。
なれないとき傷つくから、小市民的キモ幸福で妥協しておいたというのだろうか。

グローバリズムではなくて、グローバルなキモ世界化である。
放っておけば人間社会はドロドログズグズになる。
だからこそ、遠く、高く目指していかなければならない。
そのことで人間は偉大になるのである。
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by lebendig | 2006-09-03 10:02