曲学阿世、あるいは虚学阿世

竹中平蔵、世に阿った(おもねった)学者と非難され放題である。
確かいひどい。
人間が生きることの意味を考えることこそ学問、と考えれば、
まさしく、学者とは言えない。
口先だけの人間。

学問を曲げ、世に阿り(権力者に取り入り)、
おそらく後世に悪名のみ残す男だろう。
いや、そもそも、学問なんてありはしないのではないか、、、、


ところで、こうして失業者が猛烈に増え、
屋根のないところで寒さに震える人間が激増してみると、
初めて、社会にとって何が必要であったかがわかる。
それは、安心、安全、セキュリティーだ。
社会が偶然の不幸や最低の生活条件を完全に保障しているならば、
「チャレンジ」も大いに結構。
確かに、活力が生まれることもある。

しかし、何の落ち度のない人間が乞食に、
というような危険は絶対に誰も望まない。
こんな危険性があると、社会は一気に身を固めてしまう。

戦後、孤児が餓死したり、乞食をしたり、犯罪者になったりした。
そして、さらに社会が彼らを排除した。
とんでもないことが戦後続いてきた。
高度経済成長期、このセキュリティーの重大問題が見えなくなった。
しかし、問題が無くなったのではなかった。

高度経済成長のかさ上げ部分や、
世界市場における日本の相対的な技術的優位が無意味になれば、
一気にこの社会の問題が、セキュリティーの欠如が顕在化する。

竹中という馬鹿男は、この問題を一気に拡大させた。
家を失う状況に追い込まれる義務は、日本国民にはない。
国民の勤労の義務の一方に、国には職や生活を保障する義務があるはずだ。
落ち度のない人生から希望を奪い、回復しがたい状況に置いた人間に、
国は報いを与えねばならない。

人生は一度。
若い時期に回復することの出来ない状況に追い込まれれば、
それはその仕組みを作った人間の責任に決まっている。

若者に人生を保障するのが大人の役割であり、社会や国の役割のはずである。

今は怒りが方向を持たないが、
いったん状況が認識されたならば、破滅的な状況にさえなり得る。
相当危険な状況だ。


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by lebendig | 2008-12-25 14:04
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