下流、困窮、逃散、、、サンカの幻

下流社会なるものが形成されつつあるという。
年収200万円の世帯層が形成され、しかもこれが固定化されつつある。
いったんそこに陥ると、そこから脱出するのは難しく、また、教育や就職の機会も限定され、
世代を超えて相続されていくのである。

これは現実であろうか。
バブル経済全盛の頃、一夜にしてとんでもない富を手にしたものがあった。
IT産業の興隆により、これまたオーバーナイトサクセスもよく見られた。
もちろん、バブル崩壊があり、殿上人と見られた人々が零落していく様も多く見られた。
長い目で見れば、ここ20年でずいぶん大きく社会は変動してきたし、上と下がひっくり返るようなことが起こってきた。

それでも下流社会が形成され固定化されるというのだろうか。

確かに、上の一部と下の一部が入れ替わったり、新富裕層と呼ばれるものも現れた。
だが、大多数の人々は徐々に落ち込んでいき、それが閾値を超えた瞬間に貧困が出現した。かつての社会にあった階層のようなものではなく、単なる貧富であり、無力な困窮する人々が出現した。

昨今、この貧しさの中でちょっとしたきっかけで転落し、
自殺、殺人、犯罪を起こしてしまう人々が少なくない。
下流社会は助け合いや分かち合いなどなく、ただ、貧しいだけ。
ちょっと病気でもすれば、生きるすべさえ失う社会である。

希望無く、可能性無く、職能もない。
たくわえもなく、コネもなく、健康も、信用も、何もない。
これらは全部つながっている。
貧しければ、コネはなく、信用もないので可能性や希望はなく、
学歴もなく、職能もなく、単純労働、アルバイトの連なる職歴だけ所持する。
こんな人間では、どうしようもない。

天保の飢饉の際、生きるすべを失った人々は打ち毀しをした。
だが、ほとんどの飢える民は死に、
多少体力のあるものは農地を捨て逃げ出した。
そして放浪の民となり、その一部がサンカになったともいわれている。

現代の窮民はこのさき逃げ出すかもしれない。
実際に、大都会の公園という公園には家を捨てた人々が、
掘っ立て小屋を作って住んでいる。
また、多摩川沿いにはずらっと青いシートの家が連なる。
これはまさに現代の瀬降り(せぶり)である。

だが、シートの彼らは孤独である。
サンカが社会を営み、確かに生きていたのと比べ、
いくらたくさんの人間がいても孤独であり、社会と断絶している。


つまり、下流民は存在してもそこに社会は無い。
彼らは社会を形成できずに、個々別々に滅んでいくだけである。
そのとき、上流にも異変が起こるだろう。
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by lebendig | 2007-11-28 19:28
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