アスペルガー症候群の学生

最近、目立ってアスペルガー症候群の特徴的なコミュニケーション障害を示す学生が多い。
アスペルガー症候群が増えたのか、あるいは、そもそも今日の学生の全般がコミュニケーションの能力が低く、そのなかでアスペルガー症候群の学生が外見上の矯正の機会を逸してしまったものか。
アスペルガーとは自閉症にカテゴライズされる症例で、軽度のもの、あるいは知的能力には問題が無いものを言う。
ごく最近の学生をみていると、はっきり言って厳密にみていくと2割くらいのものにその特徴が認められる。

自分自身が幼稚園から高校まで接してきた同級生には、能力が低い、あるいはアパシーというようなものはあった。
しかし、コミュニケーションの可能性自体が無いものはほとんどいなかったと思われる。

自閉症に関しては、近所の同級生にいわゆる自閉症のものがあって、なんとか普通の学校に通わせたいという親御さんの考えで、一緒に通っていた。
というより、私が1年間送り迎えした。
遊び盛りの小学3年生にとっては、これはかなりきつかった。
なにしろ、彼が言葉を発したのを聞いたのは、4月最初の日の自分の名前だけ。
送り迎えは、ただただ私が彼のランドセルを押しつづけたのである。

こどもであるから、遠慮なく彼の顔を覗き込んだりした。
だが、彼の目には何のニュアンスも無いのである。
何か、その眼の奥の隠れたところに彼が居るのではないか、とも思えた。
送り迎えは、実質ひとりぼっちで、責任もあるし、重たいし、大変だった。
ただ、こどもだけに、こんなもんだろう、と思っていた。
はっきり言って、だいぶ重症の自閉症である。
結局翌年から養護学校に通うことになった。
いまでも、彼が自分でトイレに行ったことがあったかどうか気になることがある。

いわゆる知恵おくれの子も隣に昔住んでいて、しかし、ずいぶん一緒に遊んだものだ。
コミュニケーションとか共感の能力に欠けたところは無かった。
じっとしていられないので、勉強が全然駄目だったが、


そんな自分の経験に照らして、最近のいわゆるアスペルガー症候群の学生は異質である。
果たしてこれは、大脳の異常による自閉症ではなく、社会や文化の環境が作り出したものではないかとさえ思う。
町でも、目つきが尋常ではない高校生など見かけることも多い。
オタクと呼ばれる人々にも、それが見かけられる。
シャイだとか引っ込み思案だとか、そんなのでは全くない。
彼らの脳から「社会」「他者」と、その視線というものが欠落しているのである。

病気ならば、それは医学の領分だが、はっきり言って異常に増えているのは環境に要因があるのではないか。
社会性を育てる教育や環境が欠けると、「人間」は育たない。
カスパーハウザーを思い出した。

残忍で異常な犯罪に、いわゆるサイコパスと言う大脳の先天異常が関係しているとか、いや、それは差別であるとか、いろんな議論がある。
そしてその異常は胎児の時分の母体の状態に影響を受けるという。
最近、統合失調症の遺伝子が見つかったらしい。
遺伝、発達時のホルモン異常、環境による刺激の異常など、人間が「人間」となるためには、いかにハードルの多いことか。
20年前、妊娠中の女性に何らかのストレスがかかっていたのか、あるいは食品に強烈な化学物質でも含まれていたのだろうか。

学級崩壊、ゆとり教育、地域社会の崩壊、団塊の世代による教育、、、
これらも関与しているはずだ。
しかし、知らんぷりして彼らを社会に送り出していいのか。
平等だとか自由だとかいって追い出していいのか?

彼らがどのような人生を送るのか、
いや、もしかしたら、彼らが「他者」に気づくこともあるのではないのか?
「?」が多い。
誰か真剣に考えておかなければならないのでは、、、、
[PR]
by lebendig | 2007-11-23 19:42
<< 下流、困窮、逃散、、、サンカの幻 ゆとり差別 >>