最近、鬱病のCMなどがよく放送されている。
神経衰弱、ノイローゼ、メランコリーと、昔からよくあったことで、 特に現代の病ということではない。 専門用語としては、全部一緒くたにはしないけれど、 要するに、うつ。 これについては前にも書いたけれど、 病気という側面と、 己の存在に自覚する存在者たる人間の、 本質的な感情という側面があると思う。 うつは、ともかく、躁は問題だ。 これは、本人には問題ではないらしい。 問題なのは周りの人間にとって。 自分の思いつきに確信を持ったり、 けんか腰、威圧的な態度、常識を逸脱した言動など。 もちろん、そもそもその人間の人格、教養、素性によって現れ方は違う。 その人間がくだらない人間であったりすると、 それがむちゃくちゃに増幅されて表出する。 終いには自己の生命にも関わるようなこともし始めるから、 周りの人間は無理やり入院させたりしなければいけない。 最近の精神疾患患者に対する対応はそうすることを許さない。 「偏見」を取り除かないといけないらしい。 本人が一番苦しんでいるんだと。 しかし、迷惑を被る人間がいる場合、違うだろう。 自己の病について管理できない人間の犠牲になる義務はない。 人格障害、躁病で迷惑している人たちもいるのではないだろうか。 もちろん、犯罪者についても同じ問題がある。 教育刑でなく、隔離と矯正が必要。 それがいやなら、自己管理して「犯罪者」にならなければいい。 被害者が一番の被害者、って当たり前だ。 加害者が被害者になるという荒唐無稽なコントラディクション。 これ、善が悪になるというヨーロッパの道徳と同じ話。 ルサンチマン? いや、もっと屈折した現代病だろう。 その病はいわゆる「人権派」とかがかかっている。 弱いもの、善良なもの、正直なもの、これを扶けるのが正義。 それが正しいはずだ。 犯罪者、加害者が弱者であるという論理はどこから来るのか。 たしかに、社会的弱者が犯罪によって露命をつないできた過去もあった。 しかし、そんな話はこの現代国家にはありえない、伝説の話だ。 もっと単純に、加害者は排除され隔離され矯正され、いやその前に償いが為されなければならない。 精神疾患者も病人である前に人間であり、 これが加害者であるならば人間的に扱われなければならない。 正義に基づき、適正に扱われる。 人間社会の秩序。 それは人間の人間たるゆえんを体現するものであるはずだ。
by lebendig
| 2006-04-20 20:00
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