災害と人の死

多くの人が津波に飲み込まれてしまった。
親族や友人が被害に遭い、あるいは行方不明になった人々にとって大きな衝撃である。
あるいはそうでない人々にとっても、つまりこのニュースに接するすべての人々にとっても、大きな衝撃である。

親しい人を失った人々にとって、何万人の被害があろうとも、それは問題ではない。
その人を失ったことが問題だからだ。
一方、親しい人を失わなかった人にとっては、被害にあった人々の数に大きな衝撃を受ける。
その数字は、自然の力で命を失うことの「確率」の高さ、つまり、人間の自然に対する無力さがそこにあらわれている。

親しい人を失った人々も、その不条理を嘆くことから、人間の運命の中での圧倒的な弱さに気付くときが来る。
一方で、被害者の数に衝撃を受けていた人々は、その一人一人が一つ一つの人生を生きていて、その死を迎えたことを理解するようになるだろう。


結局、人間は自分だけの人生を生き、自分だけの死を死ぬ。
それが災害であろうと、病気であろうと、変わらない。
災害に遭わなければ、人生の最後の瞬間は納得のいくものになるわけではない。
我々の死は、常に厳粛で、あっけなく、自然なものだ。

こういったことが、改めて認識されると、人々の人生に対する意識も変わってくるだろう。
思想も哲学も、本来の人間を見いだすことになる。
あっけなく はかないもの、その意味を見いだすことが重要だ。
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by lebendig | 2011-03-22 09:42
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